「サンプル数」を無視した比較
以前に「統計を取ろうと思ったら、少なくとも1千のサンプル数が必要だ」という話を聞いたことがあります。純粋に「1千も必要なのか」と思ったため今でも覚えています。しかし医療やマーケティングの世界で、どれほどのサンプル数が相場となっているかはわかりませんが、目の前の数人で統計を判断するのはナンセンスというのはわかります。
どういうことか?
例えばあなたがあなたの職場で営業成績を競っていたとします。その中では確かに序列はつきます。しかし仮に1番になったところで、ずっと1番を取り続けることは至難ですし、輪を広げれば、あなた以上の営業パーソンなどごまんといます。つまり場所を広げ、時間軸を長くすれば、序列は無意味に近づくということです。
一世を風靡したナンバーワンホストとか、名経営者などがわかりやすいです。当時、メディアを賑やかせても、現在、名前すらも思い出せない人物は誰にでもたくさんいます。客観的な序列などそんなものです。
しかしライバルをつくり、今に励むことは大事と考えます。なぜなら自分が成長できるからです。つまり、自分を成長させ、その成長ぶりを肌で感じることが幸福のバロメーターで、弱者を集めて1番を気取ることが幸福ではありません。
目の前の人や半径何メートルの人と序列を競うことは、己が成長という点ではいいですが、一喜一憂して神経をすり減らすことは長期戦略や本質としてはマイナスな作用です。もう一度冒頭の話を思い出してください。当たっているかはわかりませんが、統計を取るには、少なくとも1千のサンプルが必要になるのです。2,3人などあってないものです。合コンに10回行って10回ともそっぽ向かれても、サンプルとしては弱いです。たかが10回では「モテない」とは言い切れません。そうです、1000回参加して初めてどうなのかがわかるのです。
モテる人はそれだけフラれているという話は有名ですし、トップ営業マンも断られまくっています。人気俳優は不人気俳優でもあり、お金持ちも(お金を)使う時間がなければ(お金が)ないに等しいです。
常に見た目で幸福度は図れず、自分の心を指針としましょう。狭い世界に埋没しては、せっかくもらった命がもったいないです。宇宙規模では人間全員が塵芥で、人生の100年など一瞬の出来事です。常に世界的に、長期的に、歴史的に、死生観的に考え 不毛な比較を超越しましょう。
「サンプル数」を無視した比較
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