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レモンと「レモネード」

出典元はわかりませんが、英語圏の人なら誰もがなじみのある言葉があります。

「人生がレモンを与えるなら、レモネードをつくれ」

 

金言と言ってもいいかもしれませんが、あなたはこの言葉に何を感じますか?何も感じませんか?

 

私は20年以上前からこの言葉を知っていました。しかし当時は何も感じず、最近になってようやくこの言葉の素晴らしさを知りました。体験や経験量が違ったからでしょうか。原因はわかりませんが、本当に含蓄のある言葉だと思います。

 

いわずもがな、私たちは自然の織り成す一部としてこの世に生を受けています。動物を食べ、植物を食べ、大地を踏みしめています。レモンは果物の一つでそれ単体だと確かにすっぱいです。しかしすっぱい味が好きな人もいてそれ単体でまるごと食べる人もいます。酸味が苦手な人は砂糖やはちみつを混ぜればレモネードと変わり、水や炭酸水で割ればとたんに飲みやすくなります。

 

何が言いたいかというと人生はレモンに例えられるということです。それ単体で味わえるなら味わえばいいし、味わえないならレモネードをつくるがごとく、己が思考と行動で味わいやすくできるということ。人生はそもそもそのようにできているということを思わせてくれるのがレモンとレモネードなのです。これは非常に深い含蓄ではないでしょうか。

 

健康食品の販売会社の銀座まるかん創業者 斎藤一人さんは、数々の著書で「困ったことは起こらない」と言われます。まさに「レモンはレモネードに変えられるから」と添えているような言い分です。確かにすべての事象にレモネードが可能性として孕んでいるなら、私たちは何も困ることはありません。むしろ「おいしいレモネードを作らせていただきます」と感謝の念が出るほどです。

 

最初に「信じる」」ことです。「レモンはレモネードに変えられる」と思うことがすべてのスタートで、思うことから思考と行動が始まります。逆にこれを思わないとせっかく味わえるレモネードをスポイルするだけ、レモネードに申し訳ありません。

 

自分で書いていてももはや「レモネード教」と思うくらい、最初に信じることの大切さを感じます。利己でも利他でも、目の前の現象(事象)に怯んでいてはおもしろいことに出くわせません。いつなんどきも「レモネード」にしてやる!「レモネード」を味わうのだ!と強い気持ちを持って「レモネード」を実際に思いましょう。

 

現物をイメージできない言葉だけより、自然を凝縮した果物のレモンにちなまれた言葉の方が、グッとくる強度は違います。何事も表と裏があるように目の前の現象は一面ではありません。必ず2面以上はあります。勝手に自分の解釈だけでレモネードをスポイルしないこと。さまざまな角度からそれをながめてみること、それが大切です。

 

「人生がレモンを与えるなら、レモネードをつくれ」

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。