なぜ「緊縮財政」なのか?
先日に2回に分けて「MMT(現代貨幣理論)」をお送りしました。内容はいかがでしたでしょうか? その記事中に私は何度か「緊縮財政」という言葉を使いました。本日はそれに触れてみます。
前回の記事で私は「リフレ」と「MMT」の違いについて述べましたが、実際に安倍政権がとられた財政政策は「緊縮財政」でした。アベノミクスの発進段階では2本目の矢に「機動的な財政出動」と謳いながら、実際は緊縮だったのですから、残念で仕方がありません。
しかしそれほど「財政出動」を実行に移すのが困難な裏返しでもあります。なぜなのでしょうか?
もちろん私が申すまでもなくあなたもご存じでしょう。そうです、「財務省」の存在です。財務省こそがプライマリーバランスの黒字化を先導し、国家の財布をコントロールする番人だからです。元財務官僚の高橋洋一さんは財務省を「Z」と呼んでいるため、私もここでは「Z」とします。
まず「Z」はなぜ緊縮財政(プライマリーバランスの黒字化)を先導するのか?
「徴税権」
「徴税権の掌握と拡大」、これこそがZの目的です。あなたもご存じでしょう。しかしこれだけではピンとこないかもしれません。具体例に消費増税を見てみます。
2019年10月より消費税が8%から10%に上がりました。記憶に新しいところです。このときに「軽減税率」という言葉も見聞きしたことと思います。低所得者ほど消費増税の負担が重くなるという逆進性を緩和するため、低所得者が日常に購入する食料品などを8%のまま据え置くというものです。
それ自体は問題ありませんが、通常、この軽減税率はどの業界も対象にしてもらいたいと思います。売り上げに直結するからです。そこで各業界は「Z」にお伺いを立てます。もし晴れてそれ(軽減税率)が叶えば、「Z」はその業界(団体)に恩を売れます。その恩の見返りが「Z」の「天下り先」です。今回の8%から10%の増税においても、なぜか「新聞(週2回以上発行)の定期購読」が対象になっているのはそういうことです。
また経団連等の財界には、消費増税を実施する代わりに、法人税の引き下げ等で手を打ち、かつ天下り先を確保する交渉等も織り交ぜます。財界とは、日頃から税制面で優遇する代わりに、天下り先や献金等の確保を結ぶなど、蜜月の関係にあることは周知のとおりです。
無論、消費増税に限らず、各省庁への予算の割り振りもしているため、少しでも予算を付けてほしい省庁やそれに紐づく業界には、適宜 便宜を図ることで恩を売れます。「Z」に逆らい予算を付けてもらえないとなればかなりの痛手です。その痛手を回避する交渉に、天下り先のルートが作られていきます。
整理します。
つまりは歳入に対し、歳出を抑えることで、確かにプライマリーバランスは健全化されます。しかしその健全化は「Z」にとっての都合で、私たち(国民)には逆効果です。
歳出を引き締めれば、限られた歳出枠に、各省庁が(各業界が、各団体が)、猛烈な勢いでパイを奪いに伺います。それが「Z」にとっての存在価値です。その予算編成こそが「Z」の天下り先や省益を可能なものとし、権力を誇示できる所以です。
MMTのように、いくらでもお金を刷っていいとなれば、「Z」の権力はとたんに揺らぎます。歳出を規律させるからこそ、「Z」は「Z」でいられます。
ということで、リフレを謳おうが、MMTを謳おうが、結局のところ「緊縮財政」に傾いてしまう背景(構図)はおわかりいただけたと思います。
しかしここまでお読みいただき、あなたはこんな疑問をもちませんでしたか?
"「Z」を無視して、政治家が断行すればいいのでは?"
民主党政権が与党になる前も、なったときも、そのように息巻いていたと記憶します。しかしあなたもご存じ、惨憺たる結果でした。
なぜか? 理由の一つは国会答弁でわかります。予算委員会等での答弁は「Z」が考えていて、考えられるほど材料(各種のデータや法律の知識)をもっています。それが何十年と政治家をサポートし続けた実績です。それに比べ政治家はどうでしょう? 各種のデータも、法律も、一朝一夕で得ることは困難です。「Z」に頼らざるを得ないのが実際です。ある種、「Z」は「Z」をなくして政治家の仕事を成り立たせなくした、とも言えます。これは国会答弁に限った話ではありません。他の仕事にも同様とお聞きします。
同じく御用学者や評論家、コメンテーターも、各種の一次情報をもらう見返りに、財政破綻論を唱えるよう、取引をしているという話があります。報道番組等で財政破綻をチラつかせ、消費増税の必要性をさりげなく訴える人たちがまさに"それ"です。
こんな風に見ていくと、なんだか気が滅入ります(笑)
雀鬼会の会長 桜井章一さんは著書の多くでこんなことを言っています。
「政治経済に近づくな」
桜井さんも現役の裏プロ時代に、政治経済の醜さをさんざん見せられたと言います。私たちがこの世を清くしようと声をあげる先は「選挙」だけで、官僚にはなんら届きません。
はたして官僚を超越する政治家、与党は誕生するのでしょうか?
私は今のところ何も期待していません。選挙には行きますが、その結果と自分の人生は切り離して考えます。
本記事で一番申し上げたいことは、フランクリン・コヴィー博士の名著「7つの習慣」に出てくる「影響の輪」の重要性です。「影響の輪」というのは、自分の言動が行き届く範囲のことです。それに対し、自分の言動が行き届かない範囲を「関心の輪」といいます。政治はまさに「関心の輪」です。
私たちの人生を変えられるのは、私たちの言葉と行動だけです。政治が私たちに何かしてくれることは皆無です。そう思い、政治に左右されない自分だけの幸福を、今日に明日に築いていけたら最高です。
「人は人、自分は自分」
「英雄とは、自分のできることをした人だ。凡人は自分のできることをせず、できもしないことをしようとする人だ」
by ロマン・ロラン( 1866年- 1944年フランスの作家)
ぜひ「影響の輪」で楽しく生きてまいりましょう!
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。