何もしないという「行動」
先日、私は「ミニマリストしぶ」さんの著書を読みました。私の今年のテーマは「自分の部屋の中の断捨離」です。よって少しずつですが部屋の中身をシンプルにしていますが、そのモチベーションを改めて得ようと同書を読みました。
そこには冒頭「アップルの創業者、スティーブ・ジョブズは、アップルのロゴマークを極限まで強調するため、その他の部分を極限まで削ぎ落した」と書かれていました。またミニマリズムはただモノを減らすスタイルをいうのではなく、必要なモノを際立たせるために余分なものを削ぎ落すのだとも。
さてこのミニマリズムですが、時間の使い方と共通していませんでしょうか。同じくジョブズですが、彼は毎日同じ服装でウィルパワー(意思決定力)の無駄遣いを極限まで削ぎ落したことで有名です。自分にとって大切なものとだけ濃厚に付き合うスタイル、それがミニマリズムと私は理解しました。
まず先に大事なモノがあって、それを際立たせたいがためにモノを減らすという考えもありますが、大方の人は逆でしょう。不要なモノやどっちでもいいモノを減らすことで、初めて必要なモノが浮きぼられる、だからその体験者はミニマリズムを推奨する、そういうことだと思います。
これは呼吸の儀にも似ています。息を吐くから吸いたくなる。吐くことが先。吐くことは捨てること。捨てることで必要なモノが見え、それを手にする。しかしいずれ飽きる。飽きれば捨てる。捨てたらまた必要なモノが見え、手にする。呼吸はそんな風に連続し、「捨て」と「手にすること」が繰り返されます。
その繰り返しを良質なものにすることが、人生を幸福なものにするのではないでしょうか。食事も同様です。摂取と排泄を繰り返しますが、排泄が先。空腹が先です。排泄や空腹を先にすれば、何でもおいしく感じられ、排泄もおのずとスムーズになります。しかし現代ではジャンクが横行していますので、摂取がジャンクに偏れば、排泄も快適なものにならず、快適な連続性が失われます。
話をまとめると、どんなことも基本、捨てないといけないということです。捨てないでゲットだけを考えるからパンクし、汚染し、わけがわからなくなるのです。私たちの上半身は二本の腕と手しかなく、抱えられる荷物は限られます。
時間も同様です。部屋にスペースを設けるからバランスが取れ、部屋全体をいい感じにセッティングできるわけで、時間もスペースを設けましょう。何もしない時間をあえて設けることで、本当にやりたいことが浮き彫りになり、そこへのモチベーションが最大化します。中途半端という言葉がありますが、それは削がないから生まれるもの。削げば何かが際立ちます。時間も削ぐことから始めませんか。
私は1日に1回は自宅で腹式呼吸(約5分)をします。瞑想とかマインドフルネスという流行語は私にはよくわかりません。ただ深い呼吸を肚(はら)で行うだけで気持ちが落ち着くからやっています。その時間は「捨て」です。この時間の「捨て」で実は思考や気持ちが整理でき、自分を拾えます。ストレス等は自分を見失っている状態に起こるわけで、腹式呼吸で自分を拾えます。拾えれば本来の自分とは「氣」であることを体感で気付けます。そこに安心の境地があるのです。
別に腹式呼吸でなくても、散歩でもランニングでもかまいません。自分を取り戻せる時間を1日の中に1回は作ることが、良好なメンタルを維持するコツに思います。
何もしないという「行動」
ほかに騙されてはいけません。自分は自分です。他人がどうであろうと、快適な自分は"動"と"静"のバランスに生まれます。毎日快適な自分をつくりましょう。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。