「苦労」について
私は先日に次の本を読みました。
藤田田著「金持ちだけが持つ超発想」(2019年4月発売)
そこに「生きているうちがパラダイス」という項があります。内容は "苦労などは求めずに、欲望のままに突き進めばいい、そして欲望を手に入れよ!" という主旨です。実際に彼の主張を見てみましょう。
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戦国時代の武将に山中鹿之介幸盛(やまなかしかのすけゆきもり)がいる。山陰の尼子氏の武将で三日月の兜をかぶり「我に七難八苦を与えたまえ」と祈ったのは有名である。私は、この山中鹿之介の考えに、どうしても共鳴できない。
「我に七難八苦を与えたまえ」というのは、典型的な末世思想で、私にいわせるならば、カスである。私には、なぜ、七難八苦がほしいのか、さっぱりわからない。生きているうちにパラダイスがあってこそ、生きている価値があるといえる。月給をたくさんいただきたい、愉快な人生を送りたい、ラッキーでいたい・・。そう祈るべきだと思う。
七難八苦を与えたまえ、などという末世思想は日本の進歩を阻害する以外の何ものでもない。もっと堂々と、生きていくための欲望をむき出しにしてもいいと思う。生きているうちに、パラダイスを追求すべきだと思う。死んでからパラダイスがあっても、つまらない。
(同書より抜粋)
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私がなぜこの内容を取り上げたのかと言いますと、つい最近に勝間和代さんの動画でも同じようなことを言われていたからです。勝間さんも"得意なことや楽しいことをやることへの罪悪感をなくそう"という主旨のお話しでした。(下記にリンクを貼っておきます)
この両者だけでなく、ホリエモンやひろゆき氏など、昨今のユーチューバーも同様のことを言われます。ひと昔前までは「苦労は買ってでもせよ」ということを目上の人からよく言われたものですが、いかがなものでしょうか。もちろん今でも(苦労は買ってでもせよと)言われる人はいます。
私が本記事で申し上げたいことは、「人は人、自分は自分」で自分で好きな方を選択すればよいということです。言い方を変えれば"正解はない"ということ。
実際に苦労から逃げて借金や病気を抱える人、人を傷つける人などごまんといます。さすがに苦労を買う人は現代では修行僧しかいないと思いますが、苦労から逃げる人は山ほどいます。
私個人としては、わざわざ求めなくてもいいですが、掃除一つからして、面倒なことや煩わしいことはたくさん出ますが、きちんとそれらに対応する方が、後腐れなく今日と未来に対峙できると思います。これからの時期ですと確定申告がそうでしょう。ある人にとっては苦労かもしれませんが、逃げてはいけないでしょう。後々苦労するのは自分です。
ということで、方向性や社会のためという観点では、自分の得意なことをどんどん伸ばし、それが人や社会の寄与(時代の進歩)になるということには同調しますが、それを推進する中にも面倒なことや苦労は必ず出てきます。それに対処するためには鹿之介氏が言われた「我に七難八苦を与えたまえ」という精神は、能動性や主体性を感じさせるうえで私は賛同します。
あなたはいかがお感じになりますか?
次回も同書からお届けします。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
参考動画