幸福にだって休暇
天気に晴れが続かないように、季節に心地よい春や秋が続かないように、幸福も幸福だけが続くものではないのかもしれません。
詩人や劇作家、小説家などマルチに活躍した寺山修司氏の「幸福についての七つの詩」の一節にこんな言葉があります。
「ポケットを探したってだめです。空を見上げたって涙ぐんで手紙を書いたってだめです。郵便局に日曜日があるように、幸福にだって休暇があるのですから」
by 寺山修司(劇作家・詩人「少女詩集」より)
おもしろい着想ですね。こんなにやわらかいタッチで表現されると不思議とそんな気がします。
晴ればかりが続けば「晴れ」の喜びが見失われ、春や秋だけが続けば「春や秋」の喜びが見失われます。幸福も「幸福」の喜びを見失わないようにきちんと矛盾や理不尽等「うまくいかないこと」が用意されるのかもしれません。あなただけではなく、私も他の人も全員にです。
そんなときは、話を聞いてくれる人にあなたの悩み等を打ち明けてみてはいかがでしょうか。
人に話を聞いてもらうことで、少し心が軽くなったとか、気休めになったとか、励まされて嬉しかったとか、いろいろ体験されたことがあると思います。
こんな名言はご存じですか?
「人間はその不幸が人目を引けば、それで半分は慰められる」
by デュクロ(フランスの作家「断片」より)
自分ですべて抱えるのではく、それを外部にさらすだけで、いくばくかは慰められるということです。人は長所だけでなく短所でも好かれる生き物。人に吐露する素直さも好評価や付き合いやすさのポイントです。
人は人と支え合って「人」と書きます。
克己心も大事ですが、話を聞いたり聞かれたりで「愛」を知り、「愛」を育むのも人間特有の幸福。せっかくの人間社会、人間の素晴らしさに触れ合い 生きていきたいものです。
しかし働き方の多様化や人付き合いが希薄になりつつある現代、自分の都合で話を聞いてくれる人もそうそういないかもしれません。
そんなときはアートに触れたり、神社に行かれてみてはいかがでしょうか。
アートは私流に解すと作品です。絵画、音楽、彫刻、建造物、漫画、小説、ファッション・・さまざまがあります。それらはすべて人が生み出したもの。ゆえに間接的な作家との交流。そのときの自分の感情にフィットする作品と一体化すると、視野狭窄になっていた自分に気づかされたり、発想の転換をもらえたり、自分と同様の状態が表現されて慰められたりで、心が救われることもあると思います。
また私の知り合いに特定の神社に定期的に通う人がいます。その人は神様に願い事を届けるというより、自分の話しを聞いてもらいに行くそうです。自分の悩みや迷いを一方的に聞いてもらえるところが良い点だとか。直接人とだと話がかみ合わなかったり、アドバイスが自分に合わなかったりと健やかな時間にならないことも確かにあります。
先述のデュクロの名言になぞれば、神社の神様を擬人化し、自分の気持ちを正直に吐露しつぶやけば、それは人目を引くことと同様の効果を得られるというわけです。
寺田修司氏の言葉に戻りましょう。
「郵便局に日曜日があるように、幸福にだって休暇があるのですから」
幸福も休暇を取ってこそ長生きします。
幸福が休暇を取るときくらいは強がらず、素直に自分の弱さをさらけだすことも贅沢の一つと覚えてみてはいかがでしょう。直接が難しければ間接でもかまいません。人の力を借りたり、協力を仰いだり、やさしさに触れることは、実は人のためになる行為でもあり、あなたの愛と利他心を育みます。
あなたの器は幸福が休暇を取っているときにこそ、大きくできるのかもしれません。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。