心の戦士!~心が前向きになる言葉~

どんなときでも心を晴れやかに!→ 心の戦士いざ参上!

経験の自己と記憶の自己

10年以上前に読んだ本でも自分に突き刺さった言葉は今でも覚えています。その一つが「経験の自己」「記憶の自己」です。

 

「経験の自己」と「記憶の自己」は茂木健一郎さん著「脳がときめく言葉の魔法」に紹介されたのですが、そのときに、私の"しあわせ"感は再定義されました。

 

具体的には茂木さんの言葉ではなく、ダニエル・カーネマンという人の言葉を茂木さんが紹介した形です。

 

まずは「経験の自己」と「記憶の自己」の違いをご理解いただきたいので、それがわかる箇所を同書の中から抜粋します。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

アメリカの心理学者でノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンが、幸福のとらえ方にはふたつの要素があると語っています。「経験の自己」「記憶の自己」というものですが、これらは自分の中にふたつの自己が存在し、それぞれ幸福に対してとらえ方が異なるというのです。簡単にいうと、幸せを感じるときにはふたりの自分がいるということです。

 

たとえば、今このときを楽しむというのが好きという人がいますね。経験の自己というのは、今を楽しむことで幸せを感じることです。そしてもうひとつは、紆余曲折や苦しいことを経験しながらも、振り返ると「あれをやってよかった」「あれができたからこそ、今自分は幸せを感じることができる」という満足感が生み出す幸せというものもあります。これが記憶の自己というものです。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

両者の違いはおわかりいただけましたか?

 

そしてダニエル・カーネマンは後者の「記憶の自己」の方が人生において、より重要だと言うのです。ここが私の"しあわせ"感が再定義された箇所です。

 

それまで私は"しあわせ"というのは刹那ではないものの、困難を乗り越えるイメージまでは懐疑的でした。やはり"笑顔で楽しいことをみんなで笑い合う"そんな状態をあるべき姿と思っていました。いや、思い込もうとしていたという方が的確です。

 

しかし一方、甘酸っぱい青春時代とか、逆境や困難を乗り越えたとか、鬼のような努力で何かの成績を残したとか、そういう類(たぐい)も"しあわせ"の一つと数えらることも知っていました。しかしそれはあくまで私の中の"サブ"の扱い、いや、こちらもサブに追いやろうといていたという方が的確です。

 

ところがカーネマン氏のお言葉で、私の中で"サブ"だった「記憶の自己」が蘇りました。自分でも誇らしかったのに、むりやり"しあわせ"とはリンクさせてこなかった数々の小さな武勇伝、それらが蘇り、脚光を帯び始めました。ようやくメインの位置に解放させられた気分で、読後はその清々しさに包まれたように記憶します。

 

私もどこかで「記憶の自己」のほうがより"しあわせ"であることに気づいていたのでしょう。しかしそれを認める術、認める勇気を知らず、なんとなく周りの"しあわせ"感(笑顔で楽しいことをみんなで談笑し合う)を優先していたのです。

 

ではどうしてカーネマン氏は「記憶の自己」の方がより重要だと言ったのでしょうか?それは茂木さんが脳科学の知見でこのように答えます。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

人間の脳というのは、簡単に手に入れられた喜びはすぐに忘れてしまうようにできています。日々の出来事は時間の流れに沿って進んできますが、人間の記憶というのは時間の流れに沿うものではなく、思い出や出来事単位で編集されていく性質を持っています。だから、印象に残らないことはすぐに忘れてしまうのです。(同書より抜粋)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ではどうしたら「記憶の自己」をより多く体験できるのでしょうか?それも茂木さんはこのように答えます。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私は、やはり夢を追いつづけることだと思います。夢に向かって努力していれば、苦労したり、大きな壁があったり、残念ながら叶わなかったとしても、脳にとっての満足度は高いのです。

 

最近になって気づいたことがあります。私は以前から東大批判をしていますが、「東大に受かってよかった」という人の話をよく聞いてみると、単純に東大に受かったことがうれしいのではなく、東大合格に受けた努力が実ったことに、大きな達成感を抱いているというのです。脳が幸福を感じられるのは、夢を追いつづけて努力することで、さまざまなことを乗り越えたときに感じる充実感なのです。(同書より抜粋)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

いかがでしょうか? 

 

最近は"楽しいことを追求する"ことや、"やりたいことを仕事にする"といった風潮が強まっていますが、"100%楽しいことだらけ"という物事や現象はありません。趣味を仕事にしている人も、必ずどこかで順風でないことは起こります。またあまり楽しい仕事をしていない人も、心持ちや姿勢いかんで「記憶の自己」に変えることは可能です。

 

つまり「記憶の自己」というのは、いや「記憶の自己」という名の"しあわせ"感は、自分で作り出す産物だったのです。そう考えれば今日(人生)に臨む勇気が湧きます。今日(人生)に臨む価値に気づけます。そして自分で作り出した「記憶の自己」こそが、人生で最も尊く 貴重な輝きを放ちます。その輝きは北極星のごとく、いつもあなたの(記憶の)中であなたを照らします。

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

引用・参考文献

f:id:leonet0702:20200417173255j:plain