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「形」に残す意味

先日お届けしたROLAND流「続ける」コツは、彼の著書「君か、君以外か。君へ贈るローランドの言葉」から拝借した内容でした。同書ではその他にさまざまに有益な内容が載っていて、そのうちの一つにROLAND流のミニマリズムがあります。

 

ROLANDの最高の贅沢は、「スマホすら持たずに旅行に出かけること」とのこと。今はまだその域に達していないみたいですが、近々達成する意気込みが語られています。

 

SNSが発達し、いまやスマホを持たない人はいないに等しく、事あるごとに画像や動画に対象をおさめようとします。しかしその画像や動画を観返すときは、いったいどれほどあるでしょうか?

 

ROLANDは当時楽しかった写真を見返したとき、ふとそのときの思い出が色あせてしまう体験をもちだし、最高の思い出は脳に焼き付けるものでは?と提起します。

 

私もその論に同調します。以前の記事にも書きましたが、日記を付ける目的は、その日にけじめをつけるためというのが大きいです。昨日にくよくよする人はいますが、良かれ悪かれ昨日を思い出さなくて済むよう、その日を形に残すのです。見える化するのは、読み返すためではなく、読み返さなくて済むようにするためです。

 

これはやってみればわかります。日記やメモに見える化させるだけで、なぜか心は安心し、よほどのことでない限り見返すことはありません。知識的なことでしたら検索で引っ掛けることはありますが、思い出のようなものはまず引っ掛けません。

 

つまり心の安心のために「形」に残し、「形」に残っているかぎり安心の境地にいつまでも浸れます。浸れる以上見返す必要はありません。これが悪いことにも作用するから不思議です。二度と思い出したくない出来事に遭遇したとき、やはり日記にきちんと記します。すると先述通り"けじめ"の作用が働き、「そのときはそのときのこと」と割り切りが心に生じます。生じれば思い出そうとは思わなくなります。なぜなら時(とき)を日記に刻んだからです。当時の時(とき)と今の時(とき)は別物です。もう今は今の風が吹いているのです。戻る理由はありません。

 

日記や手帳に時(とき)を刻まないから、中途半端に蘇ってくるのです。それでは今と未来の足かせです。しかしここで本質に迫ります。蘇っていい思い出もきっとあるはず。それが良き思い出・楽しい思い出だと思うのです。

 

ということは、楽しい思い出、美しい風景などは逆に「形」にしない方がいいとも取れます。ROLANDが言われるように脳に刻み、何度も脳で甦らせ、甦らせるほどに美しさが増加される感じです。良き思い出というのは、思い出すたびにますます美化されるものなのです。

 

まとめます。

 

良いことも悪いことも形に残す。さすればすべてにけじめがつきます。そのけじめが今日に全力をもたらし、明日を輝かせます。しかしあえて良きことは形に残さず見える化させない。そんな方法もせっかくの良き思い出が色褪せずに済む有効な手です。なぜなら思い出というのは自分の都合のいいように美化されるからです。この美化現象は脳科学の世界でも有名な話で、歳をとるごとに人は都合のいい思い出しか残らないように整理されます。

 

本当に楽しい時間は、めいっぱい感情で受け止め良き思い出とさらに進化発展を狙います。それを写真や動画、活字で残してしまうと、見返さなければいいですが、見返したときは等身大かそれ以下に色褪せてしまいます。なぜなら脳に刻まれた思い出は、繰り返しになりますが、美化の方に進化発展するからです。

 

「形」に残す意味

 

すべてに見える化がいいわけではありません。見える化にも一長一短があり、その使い分けをROLANDミニマリズムから考えさせられたテーマでした。

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。