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順境も逆境も「試練」

逆境は試練であると、あらゆる先達方が言われます。しかし順境すらも試練とは、あまり聞いたことがありません。しかしそれを言い放つ方がおられます。先日お亡くなりになった京セラ創業者・稲盛和夫氏です。

 

稲盛さんは順境や成功も試練と言います。なぜならいっときの成功で逆境を招くばかりか、転落する人を何人も見てきたからとのこと。有頂天にのぼり、周りに上から目線、不遜な態度を取れば、それはそうなってもおかしくありません。少し前の人気俳優のスキャンダルがそれのようですが、うまくいくと本当に人は天狗になります。抑えようとしても、日頃から修養している人でなければ実際のところは難しいのでしょう。

 

先日の「お金持ちの共通点」では、「お金は所詮、道楽(職業・仕事)のカス」という話をしましたが、お金や成功は後追いのカスであり、先には目指すべく社会理念(笑顔があふれる世界)がある、そういう状態が、天狗や有頂天を回避する考え方のように思います。

 

稲盛さんも京セラが上場を果たすときなど、天狗になりかけたときがあったそうです。具体的にはもっと報酬をもらっていいのでは?という欲がわいたときです。それでも「みんなのおかげ」と感謝に意識を振り替えたため、よりいっそうみんなのために・社会のためにと気を持ち直せました。この意識(気持ち)の切り替えこそ、修養です。修養はどれだけ成功が、「おかげ」であるかを認識するまでの修行と言えます。

 

人間の器や人間の出来・不出来は、ビジネスやスポーツ、何かで秀でただけではわかりません。逆に逆境を乗り越えただけでもわかりません。逆境でも試され、順境でも試されるという、まさに毎日が試練(修行)のようです。

 

私は健康に関心がある者ですが、いま病気を患っていないからといって調子に乗れば、何年後かに高確率で病気になります。ということは、病気になっていない(順境の)ときに、予防に努められる人が修養が備わった人と言え、逆に、病気になっても「いやいやこれからが本番だ!必ず治してみせる!」と治療に励める人もまた、修養が備わった人と言えます。

 

順境でも逆境でも試される。これは非常に深い言葉です。結局毎日が試練で修行。ただし行き過ぎはよくありません。本当に修行僧みたいに禁欲や遊びを禁じ、心から楽しむことを控えることは、逆に何のための修養かわかりません。

 

毎日楽しく笑い合う。そこに感謝と利他の精神が生まれ、それを忘れず繰り返したいがために「修養」がある。私はそんな考えをもちます。人を近寄らせないような堅物は、本来の目的がない人が陥る落とし穴で、本来の目的は人と人とが分かち合う、笑い合える世界を育むこと。そのために有頂天や天狗は戒め、逆境にめげない精神が大切に思います。

 

順境も逆境も「試練」

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。