心の戦士!~心が前向きになる言葉~

どんなときでも心を晴れやかに!→ 心の戦士いざ参上!

「人生は〇〇と▢▢でできている」

頭につけるウィッグ業界の大手にスヴェンソンという会社があります。その創業者で元代表の児玉 圭司さんが著書「1日1話 自分を強くする 成功の教科書 365」で表題の言葉を述べています。〇〇と▢▢には何が当てはまるでしょうか。

 

児玉さんは言われます。

「人生は戦い感謝でできている」

 

戦いというのは、自分との戦いと他人との戦いがあります。児玉さんはスヴェンソンを創業する前は世界卓球選手権大会の日本代表監督も務めるなど、卓球一筋の側面も持ち合わせます。実際に上記の著書も、卓球を例にとったページが数多く割かれています。

 

さて、自分との戦いに勝つのと、他人との戦いに勝つのと、何か違うのでしょうか。それは違わないでしょう。自分との戦いに勝たなければ、他人との戦いに勝てません。その逆も真で、他人との戦いに勝っても、自分との戦いに勝てなければ、真の勝利とは言えません。つまり自分との戦いに勝ってなおかつ、他人との戦いにも勝たなければならない、そういうことです。それを一言で表わしたのが孫子の兵法で有名な次の言葉です。

 

「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」

 

私は40年の人生を生きていますが、おおかた戦いに勝たなければ感謝の気持ちも宿りにくいと思っています。例えば私はこのブログ以外に「私の育毛体験記」というブログをやっていますが、"薄毛のままでいいや" と思うか "なんとか薄毛を克服してみせる"と思うかで感謝の感じ方は未来に違ってくると思います。

 

薄毛に対策を重ねた末、なんとか復活を遂げられた人は、自分が可能性に懸けたことや、人間の未知なる可能性に思わず感謝の念がこみ上げると思います。しかしあきらめた人は、あきらめの境地からの安楽はありますが、感謝はこみ上げてこないでしょう。これは薄毛の人を揶揄する内容ではなく、どの対象も可能性があるのなら、その戦いに挑み、なんとか勝利に導くことが感謝を得られる最善の策と言いたいだけです。

 

可能性がないならそもそも戦いの概念も持たないと思いますから、可能性のある分野で、さまざまな戦いから逃げずに戦っていく、その中で勝利をあげられたものを数え、満足に浸ると同時に、また別の戦いに挑んでいく、それが感謝の人生を可能とする生き方に思います。

 

先の薄毛は自分との戦いですが、相手があっても、人との勝敗はあまり後悔に直結しません。なぜなら自分が全力を出した挙句の敗北は、いっしょに努力をした者としての同士感から相手に尊敬の念も生まれるからです。

 

例外はさまざまにありますが、がんの闘病記や貧乏からの成り上がり、難関資格に挑み続けた人など、戦いの現場は人の数だけ存在します。私たちもどの現場が自分に感謝をもたらしてくれるかを決め、それが一つでも二つでも、そして短期でも長期でも、計画と実行で感謝の念をこみ上げさせることが大事です。

 

一つだけ言えることは、あきらめ癖はけっして感謝を感じにくくさせるということ。人生はあきらめないことから始まるといっても過言ではなく、悔しいことの連続はままありますが、状況が変われば風向きも変わります。私も現在の職場で悔しい思いは何度としましたが、上司が変わって評価が一新し、現在は考課で高評価をいただくことができています。その考課で思うことは、"過去の悔しさで自暴自棄にならずによかった"ということ。自暴自棄は、自分との戦いに敗れたことを意味します。相手に負けても自分には負けてはいけなく、毎日自分に負けなければ、状況や風向きしだいで相手に勝つことも出(で)、そのときに感謝がこみ上げます。感謝はときに我慢と辛抱と忍耐が形成します。

 

ユニクロの経営で「1勝9敗」は有名ですが、現実問題、百戦錬磨などありえません。常に自分に負けない戦いだけを重んじれば、戦況が勝手に相手への勝利をつくってくれます。それを信じて、今日も小さな勝利をいっしょに目指していこうではありませんか。私は今日も小さな勝利を目指し、頑張る所存です。

 

「人生は戦い感謝でできている」

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。