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「依存」から離れる理由

私は現在41歳ですが、20代の頃はよくマッサージに行っていました。目的はただ単純に気持ちがよくなって癒されるからです。しかしこれが実はよくありません。なぜならマッサージ的な気持ちよさは、私からすれば「依存」に該当するからです。しかし体に悪い依存ではありません。よってお金に余裕がある人はいいでしょう。問題はお金に余裕がない人です。私はどちらかといえば節約家なので、毎週・毎月に数千円、数万円が飛んでいくのは懐が痛みます。

 

気持ちよくなったり癒されたりする対象は、だいたいが「依存」に当てはまります。お酒やたばこはもちろんのこと、糖質に性行為、ギャンブルに消費(買い物)もです。

 

ではなぜ「依存」はやばいと私は申したいのでしょうか?

 

それは「後悔」の元になるからです。例えば消費や浪費を考えてみます。何気にコンビニに行き、ジュースやお茶、ガムやお菓子などを買ったとします。こういった小さな買い物を毎日のように続けていれば、一月(ひとつき)で3万円以上はいきます。1年で36万円、10年で360万円です。

 

問題なのは、これらの消費が何も人生に感動や喜びを与えないということ。もちろんたしなみ程度にくつろぐ分には生きる原動力になります。しかしストレス解消などを「入り口」に、"もうそれなしではやっていけない"という状態を作りかねないことも事実です。ですのでたしなみ程度にバランスが保てればいいですが、保ちにくいというのが依存物質の厄介なところです。

 

タバコはニコチンが依存物質で、お酒はアルコールが依存物質です。カップラーメンは食品添加物で、お菓子は糖質が依存物質です。どれもこれも"次"を誘うものばかりで、私たちが抱く"欲しい"という感情は、依存物質に作らされてのものなのです。

 

ピュアに”欲しい"と思っているものが、実は単純に脳をハックされてのことだと気づけるのは、依存から解き放たれたときです。解き放たれる前は気づこうにも気づけません。また気づけたとしても、依存から脱却できないことがふつうです。

 

私は昨年から糖質を断ち、3カ月以上が断ちます。今年からパン食もやめました。100%完璧に止めているわけではなく、ゆるく止めています。それでも気分や体調に少し変化が見え始め、糖質を断ったことにより、確かに脂肪がつきにくくなりました。パン食をやめてから、こちらも確かに肌質が良くなりました。

 

糖質も小麦も依存物質で、体によくないことは周知のとおりです。パン食に限っては、体質によるところもありますが、最近はグルテンフリーという言葉が表しているように、小麦に含まれるグルテンが体内の炎症をつくる原因になっているという話はよく耳にします。今の私は、なければないでまったく後悔も残念さもありません。つまりは私にとっては断つに限る対象だったということです。

 

お酒もたばこも、"たしなむ"分にはいいですが、それでもそれが原因で病気になったり、摂取量が増えてしまったときに、金銭面でも人生面でも後悔はないと言えるでしょうか。言えると答えられる方はいいと思います。しかし躊躇してしまう方は、本気で断ちに行った方がいいと思います。なぜなら断っても寂しさはいっときで、乗り越えれられれば喜びや感動がもたらされるからです。

 

本記事で申し上げたいことはただ一つ。あなたの感情にもたらされる"欲しい"は、何から来ているものですか?という問いです。もしそれが依存物質からのものであるなら、これからもその依存物質に脳はハックされ続けるでしょう。それで人生後悔しませんか? 3年後、5年後に後悔しませんか? そのためのお金や時間を他の対象に振り替えられないですか?

 

そういえば私は糖質やパン食だけでなく、カップラーメンもやめて3カ月以上が経ちます。本当にハックされ続けていましたが、いまは解放された感で清々しいです。もちろん"欲しい"と思うことはたびたびです、しかしそのたびに我慢し、「健康」を買っているのだと自分に言い聞かせ、夜を越します。すると朝になり目覚めたときは、昨晩や昨日に我慢した自分に納得を覚えるのです。純粋に"良かった"と思えるのです。その繰り返しです。結局朝になれば、我慢して目をつぶってやり過ごした自分が勝者と変わります。この敗者と勝者の入れ違いがおもしろいのです。

 

「依存」から離れる理由

 

命の言いかえは時間です。しかしもっと厳密に言えば時間ではなく「感情」です。今日の感情も大切ですが、5年後や10年後、はたまた30年後の感情も、今日 担っていると思えば、「依存」の見方も変わってきます。30年後に病気が見つかれば、30年前の今日がいっきに真っ黒に映るかもしれません。そうなっては遅いです。心にもたらされる"欲しい"は、どこから来ているか? 

 

「今日は今日のためだけにあらず」

 

それが「依存」から離れる私の理由です。

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。