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「生きる力」2

前回の記事「生きる力1」のつづきです。

 

プロ野球選手で 現在ソフトバンク20代監督でいらっしゃる工藤公康さんが2012年に次の本を出版されました。

 

工藤公康著「折れない心を支える言葉」

 

その本に「投げたくても投げられない「アイツ」のためにも━という気持ちが僕を奮い立たせてくれた」という項があります。

 

内容は前回に紹介した松岡修造さんのエピソードに似ています。しかし人や口調が変わればまた趣きも変わります。ぜひ工藤さんのエピソードも自分のものとし、「生きる力」を拝借していただければと思います。

 

それでは内容です。

 

右の中継ぎエースとして活躍し、1999年に福岡ダイエーホークスのリーグ優勝と日本シリーズ優勝の原動力になった藤井将雄投手。藤井投手は入団以来、悲願だった王監督の胴上げを実現した後、11月に行われたV1記念パレードにも参加。本当に楽しいひとときだったでしょう。しかしその翌日から入院します。病名は余命3ヵ月の末期がん。部位は肺がんです。

 

当時の工藤選手にとって藤井投手は弟分の存在。練習を怠けているメンバーがいれば、工藤選手がとがった言い方をしても、藤井投手が間に入りクッション的な役を買って出ました。また工藤選手の内面を垣間見たときは、それをやんわり対象のメンバーに柔らかく伝えることもあったとか。それほど藤井投手は人の気持ちがわかるやさしい人で、みんなから慕われる存在でした。

 

そんな藤井投手ですから、彼のためにとチームは一丸となって練習に励みます。その甲斐あって1999年につづき、2000年にも(福岡ダイエーホークスは)リーグ優勝を達成。そのV2を藤井投手はベッドの上で見届けます。しかしその後すぐに容態が急変、帰らぬ人となりました。若干31歳。

 

その当時を工藤さんはこう振り返ります。

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藤井は、病魔に倒れて、どれほど悔しい想いをし、どれほど野球をやりたかっただろうと思う。その藤井の想いは、ダイエーホークスを優勝にみちびく「パワー」になってくれた。たとえ、ダイエーソフトバンクになろうと、そのことをけっして忘れてほしくないし、受け継いでいってほしいというのが僕の願いである。

 

(中略)

 

もしも藤井と出会っていなければ、僕の野球人生は違ったものになっていただろう。投げたくても投げられない「アイツ」のためにも━という気持ちが僕を奮い立たせてくれた場面がたくさんあった。

 

現役を引退した今でも、その想いは変わらない。ちょっと弱気になったときや、難しい場面に直面したとき、アイツがどこかで見ていて、そう言っているような気がするのだ。

(同書より抜粋)

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工藤さんが藤井投手の魂を汲み取ったように、私もあなたも、誰かの魂を汲み取ったときに「生きる力」は命を宿します。人の数だけ命を宿します。意気消沈したときは特にそう感じられるでしょう。

 

喜怒哀楽の怒も哀も、それすら感じられなくなった人のことを想えば、味のあるひとときと、温かい心で包み込めるかもしれません。

 

またとかく私たちは、油断をすれば隣や近所の人と見比べます。しかし本当に比べるべきはあの世の人たちかもしれません。ご先祖様かもしれません。

 

大切なことは、辛いとき、めげそうなとき、ショックで立ち直れそうにないとき、そんなときこそ、それすらも得られずに亡くなった人たちをどれだけ想えるか、特定の誰かをどれだけ想えるかです。そこに「生きる力」は宿ります。メラメラと宿り、勇気希望に転化します。

 

「生きる力」は(特定の)人をどれだけ想えるか、それがバロメーターになるのだと思います。

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。