「代表性ヒューリスティック」
唐突ですが、以下の問いにご回答いただけますでしょうか。
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<問>
ある教授のお父さんの一人息子が、その教授の息子のお父さんと話をしていますが、その教授はこの会話に加わっていません。
こんなことは可能でしょうか?
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いかがでしょうか? この問いは佐藤雅彦・菅俊一・高橋秀明著「ヘンテコノミクス」(2017年11月発売)に紹介されていたものです。同書は行動経済学のさまざまな用語を用語ごとにマンガで紹介してくれる、とても読みやすくおもしろい内容になっています。
先の問いであなたは「教授が自己対話をしている」と推測されたかもしれません。しかしそれは違います。そのようなねじ曲がった解ではなく、純粋に人と人とが物理的に会話ができるかどうかです。もう一度問いに戻り、ご判断ください。
あらためて先の問いです。会話は可能でしょうか?
・・・
答えは「可能」です。
もうあなたは答えに気づかれたかもしれません。教授が「女性」なら「可能」になります。しかし私たちは教授が「男性」であると思い込み、その思い込みから抜け出せないことがあります。抜け出せなければいつまでたっても真実にたどり着けない、そういうこともあります。先の問いであなたはいかがでしたか? 私は抜け出せませんでした(笑)。
心理学用語における「ヒューリスティック」とは、人が問題解決などにおいて迅速かつ効率的に判断を下す際に、無意識に使っている手がかりや法則のこと。これらは、ほとんどの場合、経験則に基づいているため「ヒューリスティック=経験則」と同義に扱われます。
「代表性ヒューリスティック」とは、ヒューリスティックの種類のひとつで、自分の拙い経験則を社会の平均的・典型的・代表的な事象(現象)として過大評価することを指します。砕いて言えば「自分の経験を社会では"普通"だと勝手に過大評価する」ということです。
自分がO型であれば、自分の性格や考えをすべてのO型の人に当てはめたり、自分が男性であれば、自分の性格や考えをすべての男性に当てはめるイメージです。あなたのこれまでの人生で、こんな人はいらっしゃいませんでしたか?たった一人の特定の交際者の情報だけで、世の男性(女性)を決めつけにかかる人です。
この「代表性ヒューリスティック」は、「少数の法則」とも言われ、自分の少ない経験則で、勝手に"全体"を判断(予測)してしまうことから来ています。
私はこの項(代表性ヒューリスティック)を読み、現パナソニック創業者・松下幸之助さんの偉大さを確認しました。松下さんは大小の経営判断に「周知を集めた」ことで有名です。自分に学(がく)がないことの自覚からかもしれませんが、学(がく)がなくても独断で突き進む人もいます。逆に学があっても周知を集める人は集めます。
松下さんは経営判断のミスに、往々に「代表性ヒューリスティック」が潜んでいることを直感的に気付いていたのかもしれません。もしそうであるなら、松下さんは本当に偉大な方だと尊敬の念がたえません。
私たちも常日頃から「代表性ヒューリスティック」に陥っていないかどうかを自覚することが大切です。判断ミスを防ぐ近道は次です、「人に聞く、プロに聞く、ネットで情報を集める、過去を知る、数値化する、統計を出す、現場に行く、場数を踏む」など。これらをすれば、判断の成否にかかわらず後悔は防げると思います。
世の中は面白いもので、自分に自信がある人ほど「代表性ヒューリスティック」に陥りがちです。たまたまビギナーズラックのようにうまくいったことを、過大評価し、世の情勢に対応しなくなるタイプです。大小に関係なく、日頃から、「代表性ヒューリスティック」が存在することを意識することが、結果の内容に関わらず後悔を少なくすることにつながると思います。
最後にもう一問紹介します。この問いは2002年にノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンと心理学者のエイモス・トベルスキーが考案したもので、「代表性ヒューリスティック」を語るうえで必ず出てくる「リンダ問題」と言われるものです。
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<リンダ問題>
「リンダは31歳、独身で、非常に聡明で、はっきりものをいう。大学では哲学を専攻し、学生時代は人種差別や社会正義の問題に関心を持ち、反核デモに参加していた。」
今のリンダを推測してください。
A:リンダは銀行窓口係である。
B:リンダは銀行窓口係で、女性解放運動もしている。
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この問いも、ねじ曲がった解ではなく、AかBのどちらかでお答えください。
・・・
合理的な答えは「A」です。しかし大多数の人は「B」と答えます。あなたはいかがでしたか? 私はまたしても「B」でした。
問いの文章がリンダの特徴であるフェミニストの典型的なものと類似するため、リンダは「B」である(可能性が高い)と思ってしまいます。これが「代表性ヒューリスティック」。しかし「AとBのどちらの確率が高いか?」に置き換えれば、「B」は「A」の部分集合となるため「A」になる確率のほうが高くなります。言い換えれば「A」は「B」を包み込み込んでいるため、「B」が正解なら「A」も正解になります。ということは、「A」を選ぶにこしたことはないわけです。
あなたはいかがお感じになりますか?
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。