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「遊び」の再考3

「遊びの再考」は前回のpart2までにしようと思ったのですが、同じテーマで桜井章一さんもお話されていたことを思い出し、最後に紹介します。

 

桜井章一さんは麻雀業界で知らない人はいないというほど有名な方です。学生時代から麻雀の裏プロ(代打ち業)の世界で名をとどろかせ、ついに20年間無敗という金字塔を打ち立てられました。現在はもう77歳ですが、今もなお雀鬼会の会長として後進の育成に携われ、著書も近年まで出し続けられています。(雀鬼会とは、麻雀を通して、人間本来の動物的な気づきや感性を豊かにする団体です)

 

そんな桜井さんの著書に2016年7月に出版された「きみに努力はいらない」があります。"資本主義社会と適切な距離を置かないと、人間本来の幸福を見失ってしまう" という内容が主旨です。まずは桜井さんの根本的な考え方がわかる「はじめに」から一部を抜粋します。

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少し昔、「とにかく頑張る」「人より努力する」という方法で豊かになる時代があった。高度経済成長期である。お金を少しでも多く持っていれば、それだけでいい生活ができた。効率と利益を追求し、右肩上がりの成長を誰もが享受できた。

 

しかし、私はそれを雀荘の奥から、冷ややかに見ていた。麻雀は努力でなんとかなるものではなかった。欲に振り回されずに感覚を研ぎ澄ませることが必要だった。だから私は、必要最低限のお金だけを稼ぎ、できるだけ自然を感じながら穏やかに生きていく方法を探ってきた。つまり、自分の感覚を大事にしてきたのだ。

 

多くの人が、会社に言われるまま必死に働き、売上を考え、とにかく給料を上げることに重点を置いて生きていると思う。「お金を稼いでおかないと、将来大変なことになる」という空気感を、テレビやインターネットはまき散らしている。

 

人々の心理的な「弱み」につけ込み、心を乱すことで、少しでも自分たちの商売につなげようとしている。しかし、その果てに待っているのは、自分の感覚が麻痺し、いつまで経っても納得感のない、虚しさを感じる生活だ。

 

それを察知したのか、若い人たちの中には、モノやカネへの欲から自分を遠ざけ、改めて自分の生き方について考えてみる人が増えている。自分の中にしっかりとした精神的な土台部分を作ろうとしている。

 

それを、「若者の〇〇離れ」「草食系」などと悲観的に見ている人が多いようだが、それは企業や国家の論理である。私はそこに希望を見出している。

 

詳しくは本書の中で述べるが、私は麻雀で勝負をしてお金を稼いだ。狩猟民族のように"狩り"をするような感覚だった。とはいえ、狩り放題・獲り放題というわけではなく、海の中に生態系が成立しているように必要なぶんだけを獲るように心掛けたのだ。

 

お金があればあるだけよく、いくらだって欲しい。そういった欲を持たず、必要最低限を承知したうえで生活を組み立てた。そのように、数字に重点を置くのではなく、感覚を重視して物事を判断すると、生きていくうえで後悔がまったくなくなる。そう、自分の「楽しい」「好き」をちゃんと貫くほうが、うまくいくものだ。

 

(同書より抜粋)

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いかがでしょうか。

桜井さんの考えが、もはやすべて集約されています。"資本主義社会が織りなす お金や物への執着は、人間本来の感覚や感性をスポイルさせ、「楽しい」「好き」を見失わせる" ということだと思います。

 

しかし桜井さんは中野信子さん(脳科学者)同様、資本主義とまったくかけ離れて隠居を勧めるわけではありません。きちんと現実に即して翻訳されます。そちらを見ていきます。キーワードは「遊び心」

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誰にとっても言えることだと思うが、現実問題として、生きていくのはそう楽なものではない。結婚すれば独身時代のような自由さはなくなっていく。子どもが生まれれば、今度は育てていかなくてはならない。お金がかかることが増える一方で、給料は一向にアップせず、自分の自由になるお金は減っていく。こんなつまらない状況をまともに受け入れていたら、誰だって息が詰まってしまうだろう。

 

そんなときに大事なのが、遊び心なのだ。

 

結婚したのも遊びの延長、子育ても楽しい遊びだと思えばいい。給料の少ない仕事だって何かのサバイバルゲームだと捉えれば、暗い気持ちで働くよりも少しは楽しく取り組めるだろう。人間が生きていく上で、遊びという要素は不可欠なものなのだ。

 

車を運転する人はわかると思うが、スムーズに運転しようと思えば、ハンドルに遊びを持たせなくてはならない。大工仕事にしても、要となる部分には楔を打ち込んで補強する。この楔にしたって、材木同士がギシギシに擦れ合わないように遊びの部分をつくり、そこに楔を打って強さを補っているのだ。遊びをつくるからこそ、こうした調整が可能になる。

 

(同書より抜粋)

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桜井さんは、仕事から180度離れたテーマパークに行ったり、趣味に興じることを本質的な遊びとは勧めていません。前回の藤田田さん(日本マクドナルド創業者)同様、頭の切り替えにも似た「遊び心」こそ楽しさを生み出す本質的解決策と提唱されます。

 

楽しさは心の余裕から生まれるもので、その余裕は「遊び(遊び心)」からもたらされるからです。そして極めつけは「遊びは低次元どころか成長するための根源」と喝破されることです。

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遊び心があるからこそ、余裕ができるということを忘れてはいけない。

 

体をある程度動かせるようになった赤ちゃんが最初に何を始めるかというと、周りにあるものをひっくり返したりすることだ。こんな遊びをしながら、ケラケラと笑って楽しんでいる。遊びを低次元のものと思っている人もいるかもしれないが、決してそんなことはなく、成長するための根源であると言ってもいい。

 

ところがいつのころからか、周囲の大人から「遊んではいけません」と言われるようになり、生きていく上で大切な遊び心を手放していってしまうのだ。

 

子どもたちが物事を覚える際に効率的なのは、遊びながら記憶させる方法らしい。やっていて楽しいから、忘れずに覚えていくのだろう。

 

授業の冒頭で「今日は、しっかりと学んでいきますよ」なんて宣告されてしまったら、教わるほうは窮屈さを感じてしまうことになる。そうではなく、「遊びながら自然に覚えちゃった」というのが理想だろう。

 

今からでも遅くない。何をするにしても、「遊び」という視点を忘れずに取り組んでいけばいいのだ。それができれば、物事に対する苦手意識は薄らいでいく。あれも楽しいし、これも楽しいと思えるようになるだろう。

 

(同書より抜粋)

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藤田田さんの「頭の切り替え」や「地ならし」も、"好き"の対象に積極的になることが前提となります。その"好き"を創ることも、アタックすることも、当人のメンタリティに「遊び心」があってこそ成せるものと考えます。

 

「遊び心」は創意工夫。

「遊び心」は無料です。

 

そこにお金や資産の多寡は関係ありません。言い換えれば、お金や資産の力でどうにもならない世界が「遊び心」で「創意工夫」です。冒頭で桜井さんはこう言われました。

 

麻雀は努力でなんとかなるものではなかった。欲に振り回されずに感覚を研ぎ澄ませることが必要だった。だから私は、必要最低限のお金だけを稼ぎ、できるだけ自然を感じながら穏やかに生きていく方法を探ってきた。つまり、自分の感覚を大事にしてきたのだ。」

 

人間関係における楽しさも、仕事との向き合い方も、ストレスを受ける有無も、すべて目に見えないところからきます。だから人はそれを再現性のないものとし、ビジネスのネタに扱いません。そして全体のほんの一部でしかない"エビデンス"をことさら意味のあるものとし、こぞって取り上げます。(当ブログもそのような節はありますが、あくまで参考レベルの紹介です)

 

しかし「主観的感情」エビデンスも何もありません。世の中はエビデンスのないもので溢れていて、1日の感情、人生の楽しさはエビデンスで語れる代物ではありません。そこで登場するのが「遊び心」。すべては自分の脳内で処理され、前向きさも楽しさも、すべて自分の脳が処理します。

 

傍から見てしんどそうなことも、当人は"楽しい"かもしれません。傍から見て楽しそうなことも当人は"しんどい"かもしれません。

 

大枠として好きなジャンルの選定、好きな人の選定などは大事ですが、ある程度自分の"好き"がそこにあるなら、あとは「遊び心」の如何を問うべきと考えます。

 

桜井さんの名言に「心温かきは万能なり」というものがありますが、私はそれをもじり「遊び心は万能なり」を提唱します。

 

「遊びの再考3」

「遊び="遊び心"」

「"遊び心"は万能なり」

 

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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