心の戦士!~心が前向きになる言葉~

どんなときでも心を晴れやかに!→ 心の戦士いざ参上!

2500年前の釈尊の言葉

ところであなたは修行僧の世界で最難関と言われる修行をご存じでしょうか? それは千日回峰行と言われます。日本でこの行(ぎょう)が行えるお寺は二つしかないと言われ、一つは酒井雄哉氏が2回達成された滋賀と京都にまたがる比叡山延暦寺で、もう一つは塩沼亮潤氏が達成された奈良の吉野山金峯山寺です。

 

私は数年前からこの千日回峰行という「行(ぎょう)」にとても興味を示し、これまで酒井雄哉氏の本も、塩沼亮潤氏の本も何度も読みました。「千日回峰行」という行がこの世にあることを知ったのは酒井雄哉氏の著書からですが、興味を持ったのは塩沼さんのYouTubeを観たときからです。とても平易な言葉で「行」の意味を語られ、なぜか見た目も含め親近感がもてました。それから酒井氏の本も読むようになりました。

 

塩沼亮潤氏の講演を聴くと、毎日の色褪せない生活が、ぱっと開けてくる感じになれます。そのさまざまなお話の中で私が一番グッとくる内容が「同じことを繰り返すことの意味」です。意味は目的や理由と置き換えてもかまいません。

 

「悟る可能性がある」

 

毎日同じことを繰り返し行っていると「悟る可能性がある」と、約2500年前に仏教の開祖:お釈迦さま(釈尊)が言われたそうです。塩沼さんはそれを信じ、毎日山(やま)の修行に励まれ、ついぞ「千日回峰行」も達成されました。

 

お山の修行というのは、これはこれは本当に毎日が同じことの繰り返しだそうで、「千日回峰行」もまったく例外ではありません。ある地点からある地点まで行って帰ってくるという、一見単調に見える行です。しかし何が辛いかというと、片道24km(往復48km)を毎日約16時間かけてそれを行い、通算連続1000日を行わなければなりません。1日も休まず連続です。秋から冬季は季節がら、あまりにも過酷になり過ぎるため休みとなりますが、翌年の春からまた再開されます。(計9年間)

 

冬季が休みといっても、お寺での修行は存続されます。あくまで「千日回峰行」を行わないというだけで、毎日私たちの仕事と同じようにお寺での辛い修行はこなされます。塩沼さんはお寺での修行も人間関係に悩まされることがあったみたいで、それを引きずりながらの「千日回峰行」。たった1人で悶々と人間関係の悩みや、家族と会えない寂しさを抱えての行でした。

 

話が戻りますが、春~秋にかけての「千日回峰行」は、一日一食(精進料理)です。水も手持ちの水筒しかありません。これは何を意味するかというと、栄養失調を常とし、すなわち体調不良が常(つね)ということです。それだけならまだマシかもしれません。それに加え、雨の日も風の日も嵐の日もぜったいに行わなければなりません。もし一日くらいいいか・・と休んでしまうと、行の掟として「切腹」をしなければならないからです。"短刀で腹を切る"というワードが本でも動画でも何度も出てきます。

 

塩沼さんはそれを「やるかやらないかじゃない、やるだけなんだ」と、一択しかないことを述懐されています。1000日のうち、体調がまともな日は1日か2日くらいだったそうで、下痢になろうと、熱が出ようと、毎日往復48km(16時間)を歩き続けます。

 

驚くことに「千日回峰行」を達成したあとも、セットで「 四無行 しむぎょう」という行が待ち受けます。9日間「飲まず」「食わず」「眠らず」「横にならず」という 四無(しむ)を全うする行です。「千日回峰行」を達成した塩沼さんでも、そのうち「飲まず」は相当に過酷だったそうで、何度も我慢を噛みしめたと言います。

 

前置きが長くなりました。これほど塩沼さんが毎日同じことを繰り返されたのには訳があります。それが「毎日同じことを繰り返し行っていると、悟る可能性がある」と、お釈迦様が言われたことをずっと胸に秘めたためです。人は信じるものがなければ続けられません。しかし一つだけ条件があります。それが「情熱」です。

 

イヤイヤ続けたのでは「悟る可能性はない」と、これまたお釈迦さまは喝破されたそうです。つまり具体的には「毎日同じことを情熱を絶やさず続けていると、いつかは悟る可能性がある」となります。

 

家事・洗濯から何かのルーティーンまで、とにかく毎日は同じことの繰り返しに思います。しかしBGMをきかすなり、工夫を凝らすなり、その毎日に「情熱」を灯さなければ、せっかくのそれらがもったいないということになります。

 

ぜひあなたにも毎日同じことを繰り返していることがあると思いますので、そこに情熱が灯せるよう、塩沼さんのように情熱を灯している人を想像し、励んでみてはいかがでしょうか。YouTubeを開けば何種類かは出てきます。著書も何冊も出されています。ちなみに1300年の歴史で酒井雄哉氏と塩沼亮潤氏の二人だけが「千日回峰行」の達成者と数年前まで言われていましたが、釜堀浩元さんが確か2017年に比叡山で達成されましたので現在は3人です。酒井雄哉氏は2013年にお亡くなりになりましたので、生きている方となれば、塩沼さんと釜堀さんのお二人です。

 

時代はITやAIと、修業とは対極に向かっているように思われますが、実際はどうなのでしょう? 鬱や精神を病む人が増加し、ネット上では炎上やバッシングが相次ぎ、格差社会も広がりを見せていると言われます。私たちは修行の心を忘れても、幸せに生きられる世の中(社会)になっているでしょうか? 

 

考え方はひとそれぞれになりますが、世の中には修行を明るく(前向きに)とらえ、感謝で臨むひとたちも大勢います。それらの事実を知れば、自身の生活においても、ちょっとしたことくらいで挫けない心を、(彼らに習って)培えるように思います。私は塩沼亮潤さんに動画越しで何度も勇気をいただきました。今でも時折もらっています。

 

同じことを繰り返す目的

A. 悟る可能性があるから

しかし「情熱をもって」という条件が付きます。

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

参考動画


www.youtube.com