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「1円」の重みと金儲け

日本マクドナルドを創業した藤田田さんは、1円の重みを知らずして、お金儲けなどできるわけがないと言われます。

 

近年はキャッシュレス社会が旺盛で、クレジットカードは当たり前、スマートフォンからのキャッシュレス決済がシェアを伸ばしています。手間が省けるだけでなく、ポイントの2重取り、3重取りが可能となっている点も魅力の一つです。

 

先の藤田さんのお話しは、もちろん現代の状況を指して言われたことではありません。しかし当時はクレジットカードが誕生しており、徐々にクレジットカード決済が浸透しつつある頃と推測します。

 

"クレジットカード決済は、現金のそれと比べ、金銭感覚を鈍くさせるため、1円の重みが薄らぎやすい、しかし1円の重みは現金もクレジットカードもまったくいっしょ、そこをきちんと認識しないとお金儲けは足元から崩れる" というお考えです。

 

現金を扱う時代においても「1円」の重みを理解しない人は多数いました。クレジットカードはそれに輪をかけるということですが、決済方法はどちらでもいいのです。とにかく1円の重みを知ることがお金儲けには重要ということです。藤田さんの言葉を見てみましょう。

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今日の日本でもっとも悪いもののひとつに、貨幣の単位がある。日本の貨幣の単位は「1円」だが、この「1円」の価値が国民に無視されている。だれも1円を尊敬しようとしない。1円落ちていても、だれも拾わない。10円でも拾おうとしないだろう。

 

ところが、アメリカでは、1セントでも争って拾う。最小単位のお金を拾うのである。それほど、いまの1円は値打ちがない。これは、はっきりいって政治が悪い。デノミネーションをやって「1円」という最小単位に価値を持たせようとしない政治が悪いのだ。金の重みは、最小単位の値打ちで決まる。政治が、最小単位の金に値打ちがあるようにしなければならないのである。

 

(中略)

 

いまのように水増ししたようなお金の単位では、国民に金のありがた味を知らせることはむずかしい。金のありがた味がわかっていないということは、金の便利さもわかっていないということである。

 

金というものは、非常に便利なものである。自分にできないことを、金はやってくれる。それがいやなら自分でやればいいのだが、金がやってくれることがたくさんある。ときには、命をすくってくれることもある。そういった金の値打ちも、最小単位が国民にバカにされるようでは、理解せよ、というのが無理な注文である。

 

藤田田著「ビジネス脳の使い方」より抜粋)

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藤田さんの言われることは、1円が10円を連れてきて、10円が100円を連れてくるというような斎藤一人さんが言われるような意味合いとは異なります。ものすごく現実的なお話で、私なりに理解したことを次に述べます。

 

まず「デノミケーション」とは貨幣の呼称単位の変更のことで、例えばインフレによって金額表示が多くなったときに、100円を新1円と呼び変えるようなことです。計算や記録の便宜を図るために用いられます。

 

藤田さんは貨幣の最小単位である1円を安っぽく感じさせることが、お金のありがた味を実感させにくくする、と言われます。だからデノミケーションで最小単位の価値を上げてあげれば、国民はお金のありがた味を実感でき、無駄遣いを減らしたり、有益な使い道を考えるようになり、それがお金儲けの道になるということです。

 

しかし現実問題、デノミケーションは起こりません。そして藤田さんの言わんとされる本質は「お金のありがた味の実感」です。

 

そこで現行制度(貨幣の最小単位が1円)で、どうしたら本質(お金のありがた味の実感)に迫れるか、私なりに考えてみました。

 

その答えは「姿勢」にあります。最小単位(1円)を扱う姿勢が、すべての単位を扱う姿勢に通ずるということ。いや、通じてしまうということです。

 

例えばあなたが部下であるAさんとBさんに同様の雑事を頼んだとします。Aさんは"所詮は雑事"と適当に処理しました。しかしBさんは"されど雑事"と慎重に心を込めて遂行しました。

 

さてあなたは次の仕事をAさんとBさんと、どちらに頼むでしょうか?

 

よく言われる話です。

 

現代のホスト界の帝王と称されるROLANDROLANDは著書「俺か、俺以外か。」で休日の服装も手を抜かないことを語っています。その理由は休日に気を使わない人が、平日に気を使えるとは思えないという考えからです。

 

どういうことか?

 

つまりは「自分」という唯一無二の存在に平日も休日もないということです。自分は場所を問わず、オン・オフを問わず、自分であることには変わりないということ。シチュエーションに応じて使い分けをする意味がなく、使い分けをするほどに、どんどんシチュエーションが細分化され、使い分けも細分化され、複雑になり、扱いにくくなるということ。シンプルさから遠ざかれば管理も煩わしくなり、結局本番(平日)にポカをする羽目になりかねません。

 

雑事も同様です。

 

よって最小単位(1円)を疎かにすれば、100円は?1000円は?となり、中間地点への姿勢の管理が複雑化します。複雑化すれば、「塵も積もれば山となる」のプロセスが中途半端になり、結果、山に至らない、すなわちお金儲けに至らない、となります。

 

私は最小単位(1円)を扱う姿勢が、すべての単位を扱う姿勢に通ずると言いました。言い換えれば、姿勢とは「ベクトル」です。1円でも儲かればベクトルは上向きとなり、1億円を元手に儲けようにも上向きのベクトルを機能させずに成し得れません。その上向きのベクトルは一朝一夕や中途半端で作れるほど簡単なことではありません。

 

なぜなら「人間は易きに流れる生き物」だからです。1円はどうでもよく、1000円から大切に扱うとか、そんな器用に使い分けられるほど、人間の潜在意識は都合よくありません。きちんと1円を粗末に扱った履歴は潜在意識に書き込まれます。すると気づかないうちに易きに流れ、1000万円も1円を扱うのと同様に本気になれなくなってしまうのです。

 

逆に1円を大切に扱う人は、1円や1万円や1000万円と単位で使い分けをしないため、1円も「お金」、1億円も「お金」と、いつもと同じように「お金」と向き合うだけです。向き合う姿勢(ベクトル)は単位に限らず同じということ。

 

 

・人は易きに流れる生き物

・1円の扱いが姿勢(ベクトル)を決め、その姿勢(ベクトル)がすべての金額(単位)への姿勢(ベクトル)を決める

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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