心の戦士!~心が前向きになる言葉~

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100の力で101、102・・

一般的にですが、毎日に全力を尽くす人は、どこかで疲れてしまうようなことが言われます。何事もほどほどがいいという論です。しかしこの論にはわかりにくい点があります。それが精神面でのそれなのか、肉体面でのそれなのか、です。

 

どちらも連動していると思われるかもしれませんが、そうでもないと思います。なぜなら人によっては全力投球することが心の余裕につながる人もいるからです。そういう人は、中途半端が逆に疲れてしまい、全力投球のみが精神面の良好さにつながります。

 

実は私も会社員の身ですが、中途半端がイヤな性分です。与えられた職務はもちろん、そうでない職務も首を突っ込み、常に汗を掻きたいタイプです。だからでしょうか、ある本に載っていた、あるアスリートが次のことを言っていたことに同調します。

 

「人は100の力を出し続ければ、101、102と力が伸びていくのに対し、80くらいで出し惜しみしていると、99、98とMAXの力が落ちていく」

 

どなたが言ったかはわかりませんが、私はその感じが体感的にわかります。卑近な例で言えば階段の上り下りです。最初は辛いですが慣れてこれば辛くなくなります。エレベーターやエスカレーターを使う人は毎回使います。その差は日ごとに歴然となります。

 

数年前に「GRITやり抜く力」という本が世界的にベストセラーになりましたが、普段から全力を尽くすクセがないと、本番でやり抜けなくなってしまいます。そして結果が出るか否か、大成するか否かはやる抜けるか否かに関わってくると、その著者は言われます。なぜその話が世界的にベストセラーになったかというと、著者が自分の体験のみならず、さまざまな事例を用いて、統計的に明らかにされたからです。

 

私は「なぜ人はやり抜けないのか」を考えてみました。それは普段からやり抜く力をもたないと、本番でちょっとした壁にぶつかったとき、突破できる素地がないからだと思いました。普段にやり抜けば、ちょっとした壁かもしれませんが、やり抜いたという素地がつくれます。毎日はその積み重ねでそれがミルフィーユのごとく厚くなります。その厚さが自信となり勇気となり、壁を突破する原動力になります。

 

100の力を出すというのは、自分の決めたことをやり通すということ。その「やり通し」に、可能性が肌感覚で見つけられ、「明日も頑張ろう、明後日も頑張ろう」と、モチベーションが生まれます。

 

ただし精神的に疲労困憊しては、これはいけません。なぜならモチベーションは精神に既存するからで、精神の疲労はモチベーションの疲労に直結します。ですから筋トレに励む人が肉体をあえて傷つけるように、仕事や趣味に「やり抜く」人は、その対象に自分を傷つけます。それが手応えとなり、精神を良好にし、モチベーションが生まれるというわけです。

 

今日の出し惜しみは、明日の出し惜しみをつくります。一度でも怠惰な借金をすれば、もう0から1が始まったということで、1から2、2から3になることは時間の問題です。何かの対象への「力」も、それと同じことではないでしょうか。くれぐれも怠惰に流れる自分を甘やかさないこと。辛くともやり抜く力をもつこと。そして精神面に余裕を持たせるため、自分を褒め、同時に自分以上に過酷な状況にいる人を想うことです。

 

100の力で101、102・・

 

適度に辛い毎日に、成長の甘味がある気がします。

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。