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国を頼るな!自助独立の道

国や政府をあてにしては自分の人生はままならなくなります。いくらセーフティネットが張られているとはいえ、病気にはなりたくないですしケガもしたくありません。ましてや貧乏になり生活保護受給者にもなりたくありません。

 

しかし社会保障制度や各種のセーフティネットが必要がないとは微塵も思いません。必要に決まっています。しかしそれは結果的に救われて感謝するものであり、基本は自助独立の構えが大事です。

 

たくさんの人が自助独立を歩めば、資本主義社会においては競争に敗れる人が必ず出ます。その破れし人を救うのが社会保障制度で、救った結果、ふたたび自助独立の道を歩むチャンスを与えられます。

 

さて本日は「国に頼るな!」がテーマです。日本の現在は円安にまたぶれ始めました。各種の経済ニュースでも円安を取り扱う記事が多く見られます。円安と不動産投資、円安と金融投資、円安と○○ビジネス・・など。

 

はたして円安は日本において望ましいのでしょうか。望ましくないのでしょうか。メディアの報道では良くない論調のほうが多いと思います。しかしGDPは円安の方が増えるデータは出ています。なのになぜよくないのか?

 

おそらく円安を厳しい目で見つめる財務大臣らにヒントがありそうです。「今の円安は経済(物価上昇)に大打撃を与えている。こんな状態で補正予算を組んだら、またまた物価上昇を後押しすることになり、さらに消費者の負担は重くなる」といったところでしょうか。つまり財務省らはお金を出し渋ることでの正義感を行使できる状況下にあります。だから円安は本当は悪くないのに悪いという。悪いと言っていれば、バラ撒きや予算を付けなくて済みます。

 

どうでしょうか。当たらずも遠からずと言った感じですが、単純にGDPが増えるなら、増えた分を困っている人に回せばいいだけです。輸入産業を生業としている人は確かに打撃を受けています。そういう人たちにGDPの増加分を使ってあげればいいだけのはず。しかしそうはしない。困った困ったというだけで、弱者に手を貸さないのはあまりにもひどいと思いますがいかがでしょうか。

 

今回の円安の話は一例ですが、国が私たちに手を差し伸べることはまったく期待できません。最低限の生活保護で、健全で文化的な生活が送れるとは思いません。つまり自分の身は自分で守るしかなく、いくらシェアリングサービスやビジネスが流行ろうと、今のところ貯金と投資が何より自分を守る有効打と思います。きちんと時間を味方につけてコツコツと貯金をする。投資がOKな人は投資をする。

 

金銭的・経済的にゆとりができれば、心にゆとりが生まれます。国や政府が取る政策に利用価値があれば利用すればいいですが、それを当てにせず、自助努力でできることは自助努力でする、その自助独立の精神があらゆるストレスをはねのけます。また自分だけでなく利他の精神でまわりも助けられます。この点は見逃せません。

 

国に頼るな!自助独立の道

 

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本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

自己分析と見えない失敗例

実業家の堀江貴文さんは「あり金は全部使え」と言われます。最近共著を出された山崎元さんは「ほったらかし投資」を勧められます。「ほったらかし投資」とは、平たく言えばインデックスファンドを用いて「長期・積立・分散」を行うというもの。「あり金は全部使え」は体験的価値を重視し、体験的価値こそ稼げる火種をつくると考えられます。

 

両者のスタイルは真逆のように見えますが、お二人は先述通り最近共著を出され、YouTubeなどでも対談をされています。私はまだ読んでいませんが、コアサテライト的に言えば、コアを自己投資(体験的価値)に、サテライトをほったらかし投資にと言った感じでしょうか。

 

さて本日は「自己分析と見えない失敗例」についてです。

 

堀江さんの言うようにあり金を全部使って体験的価値を深めれば、ジョブズが言うようなドットとドットがつながり、いつしかそれがビジネスにつながるかもしれません。しかし、つながらない人もいます。またあり金を使って、経済的にヒーヒーいいながらも楽しく暮らす人もいれば、そうでない人もいます。

 

一方で、FIREを目指し倹約貯蓄に励み今を切り詰めている人でも、今を楽しめる人とそうでない人がいます。

 

つまりはあり金を使おうが、ほったらかし投資をしようが、その程度がどうであれ、楽しむ人は楽しむし、失敗する人は失敗するということです。堀江さんは実業家として有名になっていますが、スポーツ選手や芸術家として有名になっているわけではありません。山崎さんも実業家として有名になっているわけではありません。

 

幸福という山に登るルートはけっして一通りではなく、人の数だけルートがあります。また人によってもルートが決まっているわけではなく自分の努力と運が折り重なって現実がつくられます。

 

ほったらかし投資が向いているのか、短期トレードが向いているのか、ビジネスが向いているのか、趣味や家族が向いているのか・・・

 

人の幸福の感じ方は人それぞれ。有名人や時代のトレンドに流されず、自分が向いていることをしましょう。どの道でも失敗する人は失敗します。ほったらかし投資でも5年以内に解約する人はたくさんいます。だれでもほったらかしにできるわけではありません。

 

自己分析と見えない失敗例

 

あり金を全部使って失敗する人は数えきれません。有名人も職種はばらばらです。自分の向き不向きを踏まえ、自分の道を堂々と楽しんでいきましょう。

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

書を捨てネットを活用せよ

30年前くらいは本を読めば、「書を捨て街に出よ」というフレーズをよくみかけました。今も「街に出よ」は当たっていますが、その前にネット検索が主流になっていると思います。

 

例えば私が行っている投資信託。毎日積立を開始したことは以前にお伝えしましたが、どのファンドにいくら投資するかは証券会社の詳細検索で調べまくります。またファンドアナリストの評価や格付け機関の評価も参考にします。そのようにしながら15種類くらいのファンドを選定したわけですが、そのようなプロセスはもちろん本には載っていません。推奨銘柄や推奨ファンドが載っていたとしてもやや古い情報です。

 

つまり「書を捨て街に出よ」の「街に出よ」は、街に情報があるから言われた言葉と理解できます。例えば恋人探しや出会い探し、習い事や遊び等、すべて街に出なければ行えない時代が20年前です。しかし今はどれもネットでできます。Web3.0が進めば、メバタース上で買い物は当たり前、さまざまなことができるようになるでしょう。それでもアナログの価値は消えません。今でもZOOMで話すのと面と向かって話すのとでは、やはり後者の方が情報量が多く臨場感が味わえます。

 

つまりこうです。行動を起こす前にネットで情報収集する。それも広く深く。そうすれば行動に移そうと思える情報にきっと出会えます。出会えれば行動します。現実が動きます。改善できます。どこかで目的が達成できます。

 

よく考えたら何を当たり前のことを・・と思われるかもしれませんが、意外にネット検索も面倒です、億劫で先延ばしにしている対象は少なからず皆あると思い、改めてネット検索で情報と格闘しながら目的の対象にありつけていただきたいと書きました。

 

願望 → ネット検索 → 行動 → 継続と改善 → 成就

 

ネット検索は願望と行動を結びつける重要な役割を担います。しかし最終的には「やってみなけりゃわからない」という状態になります。それは当たり前です。問題なのはどこでやるかということ。投資でしたらどの銘柄を買うのか、投資信託ならどのファンドを買うのか、フィットネスジムならどこのジムに入会するのか・・ということ。

 

「未来は不確定=行動の先は不確定」は、当たり前です。だからといってやみくもにやってはいけません。クーポンを使えば10%割引で購入できたかもしれませんし、初月は無料で会員登録できたかもしれません。こういった小さな手間を惜しまないこと、そこに喜びは生まれます。

 

情報は鮮度が命。今現在、俎上に上がっている情報で行動をとらえましょう。そして書籍は目的対象の全体像・概要がわかる程度で良しとしましょう。ただし一点、書籍でも古びない情報があります。それが自己啓発です。自己啓発というのは、例えば「7つの習慣」や「竜馬がゆく」など、モチベーションに寄与するすべての本です。ネット検索や行動も、エネルギーや神経を使いますので、それを支える(生み出す)モチベーションは必ずどこかで必要です。

 

なぜ書店で、コンスタントに自己啓発本が売れているのかを考えたことがあります。それはモチベーションは長続きしないため、エナジードリンクよろしく、手を変え品を変え読む必要があるからです。これは案外悪いことではありません。なぜなら失意に沈んだり、人生をあきらめた人らは、そんな本は読まなくなるからです。ということはそれを逆手に取り、読むことで人生をあきらめないようにする、それが大事です。

 

書を捨てネットを活用せよ

 

あくまでネットの情報に翻弄されず、自らの願望を目がけて主体的に収集する。それが大事。良質な情報に巡り合えなくても、やるだけのことはやったという達成感は持てます。その達成感だけで、アクションに向かえばいいのです。いつの状態も完璧はありません。とにかく使える情報は使い倒し、一日でも早く行動に移し、現実を直視するサイクルを回しましょう。そのサイクルに書籍が不要であれば、堂々と不要にしてください。現代社会における一般生活者に、書籍の必要性・活用性は日に日に薄らいでいます。ネット上でできることに積極性をもち、人生を謳歌しましょう。

 

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本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

「働き療法」

日比谷公園などの造園に関わられた方に本多静六博士がいらっしゃいます。明治から昭和にかけて林学博士・投資家・作家として活躍された方で、1/4貯金の伝道師としても有名です。

 

そんな静六博士はいっぽうで「働き療法」という言葉で、仕事と健康法を結び付けて働くことをお勧めされています。五体を授かる人間にとって、体を動かし働くことは健康法の王道であると。実際に静六博士は80歳過ぎても畑仕事や文筆業、今でいう事業のコンサルティングなども行っていました。この世を85歳で去られましたが、おそらく80歳を過ぎてもなお120歳まで生きる人生計画を立てられていました。私の記憶が正しければ、80歳以降から英語の勉強もラジオでされていたと思います。

 

働くことと聞くと、本業を一生懸命にするイメージがありますが、今は副業ブームが続いています。本業だけでなく副業でも、働くことは健康のためという観点をもってきてはいかがでしょうか。私は、本業は保険業で、コールセンターのオペレーターを管理するスタッフ職をしています。副業は外回りのアルバイトです。この外回りの副業こそ、私を最も健康にする「働き療法」と思っています。

 

副業を始めてもう7年ほど経ちますが、まったく単価は上がっていません。俗に言うキャリアアップや将来性とは無縁です。しかし私は続けています。それは健康になれるからです。

 

現代社会の内勤は、パソコンやスマホを使って仕事をすることが基本です。私も例外ではなく、そんな私は休日までパソコンを使って仕事をしたいとは思いません。脳科学の世界では、運動こそ脳細胞を活性化すると言われ、体を動かすことはパソコン作業をいっそう捗らせる役割りを担います。よって肉体的な健康はもちろん、脳や精神の健康にも外回りの仕事は私には向いています。

 

こんな考えをもっているため、例えばWebライターやWebデザイン、動画編集等に邁進しても、体を動かすことを疎かにすればどこかでつまずき、そこからの挽回は難しいような気がします。ただWeb関係の仕事をお勧めしていないわけではありません。パソコンにつきっきりでも、適度に体を動かす習慣は必要と思うと言いたいだけです。

 

ふしだらな生活や情けない生活を送ってしまうのは、社会への責任から離れているからです。何を隠そう過去の私もその一人で、飲めないお酒を飲んだり暴食をした生活から抜け出せたのは、今 行(おこな)っている副業と出会ったからです。社会への責任とは仕事や人間関係等で迷惑をかけてはいけない環境に身を置くことを指します。

 

また老後2000万円問題は古いかもしれませんが、お金を蓄えたい人にも「稼ぐに追いつく貧乏なし」という言葉のように、私のようなアルバイトでも、一日働けば数千円は稼げます。この数千円はけっしてバカにはなりません。なぜならふつうは消費や浪費をし、お金が出ていってしまうからです。

 

休日になんとなく出かけ、外食等をして5千円を使うのと、一日アルバイトをして5千円を稼ぐのとで、その差は5千円です。しかし本当はそうではありません。本当は消費しなかったら残っていた5千円も含め、1万円が実際です。この落差が、先述のけっしてバカにはならないという理由です。

 

いろいろ書きましたが、脳を活性化するにも、仕事を継続をするにも、お金を追いかけたら続かないことも付記します。継続こそ力で、やりがいのなさや心の負担はなんのリフレッシュにもなりません。命の軽視です。時間は命である以上、自分のやりたいことや納得のいくことをまっさきに考えましょう。もし副業でやりたいことがなければ、無理してやらなくていいのです。いったんは本業だけにしておきましょう。

 

「働き療法」

 

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稲盛和夫氏の深い名言

日本を代表する大企業「京セラ」を一代で創業したカリスマ経営者、稲盛和夫さんが90歳の御年でお亡くなりになりました。当ブログでも稲盛さんの名言は何度と紹介してきました。それだけに本当に寂しい気持ちがこみ上げます。この場をお借りしてご冥福をお祈りします。

 

さて、私は20年以上前から稲盛さんの書籍には触れていましたが、その中でこの名言は特に刺さったというものを紹介します。

 

・成功の方程式=考え方×熱意×能力

・誰にも負けない努力

・垂直登攀

 

以上の3点です。

 

まず一点目。成功の方程式ですが、これは「考え方」こそ成否を分かつもっとも重要なファクターということ。どれだけ才能があっても私利私欲のために使っては成功はおぼつかず、利他の心でかつ、不屈の努力こそ神様が応援してくれる姿勢(考え方)であると言われます。

 

次に「誰にも負けない努力」です。ただの努力では弱者が強者に勝つことはできません。戦国時代よろしく、しのぎを削る資本主義社会に努力中の努力をもってこなければ、逆に負けてしまうということ。戦いに勝つとは、よりユーザーにサービスの向上を提供するということです。

 

最後に「垂直登攀」です。これも並大抵の努力では弱者が強者に勝つことはできないことを言っています。登山家が山に登ることをイメージしてください。傾斜が90度の垂直登攀の覚悟で挑まなければ、資本主義社会で大企業にのし上がれないということです。弱者や生き延びさえすればいいという志ではなく、日本や世界を代表する会社にするという大言壮語を形にするには必須の心構えと言われます。

 

しかしこれほどのすさまじい覚悟と努力を傾倒し続けるには、どうしても何かが必要になります。それが「利他の心」です。成功の方程式の「考え方」にも通じますが、清らかな心がなければとても傾倒し続けることはできません。稲盛さんがKDDIの前進である第二電電を創業したときに何度も自問したのがそれだったとのこと。「動機善なりか、私心なかりしか」は、そのときの彼を語るうえでとても有名な言葉です。

 

そのほかにも「アメーバ経営」や「売上極大、経費極小」など、経営や実学の分野でも多数の名言があります。ぜひ自分の実生活に生かせる名言をピックアップしていただき、毎日の実践に役立てていただけたらと思います。

 

稲盛和夫氏の深い名言

 

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ナポレオン・ヒルの「成功」の定義

世界的な自己啓発作家にナポレオン・ヒル博士がいらっしゃいます。あの鉄鋼王と言われたアンドリュー・カーネギーに依頼され、アメリカ中の成功者たちにインタビューをし、最終的に成功法則を一冊にまとめられた人物です。日本でも「成功哲学」や「思考は現実化する」などの書籍が名著として扱われています。

 

そんなヒル博士は「目標」を次のように定義しました。

 

「自分に価値ありと認めた(目標)」

 

他の誰でもない、自分に価値があると認めた目標が、真の目標ということです。次に「成功」です。「成功」をどのように定義づけたのでしょうか?

 

「他人の権利を尊重し、社会正義に反することなく、自分に価値ありと認めた目標を、黄金律に従って一つひとつ実現していく過程である」

 

なるほど、自分に価値があると認めた目標を一つ一つ実現していく過程というわけです。ちなみに黄金律とは「自分がしてほしいと思うことを、何よりまず他人にしてあげること」です。私流に超訳すれば「利他の精神」です。

 

「自分に価値ありと認めた目標を、利他の精神で一つ一つ実現していく過程」

 

大事なことはまず自分に価値があると思った目標を設定すること。その目標をスライスして、今日・明日にできるよう計画し、実際に実現すること。それを成功と感じること。「設定→計画→実行→感謝」です。

 

このサイクルのもっとも見落としがちな点は設定感謝だと思います。まず目標を設定する人が少ないです。また借り物の目標になっているケースもあり、また実行・実現に成功感を抱く人も少ないです。

 

今こそナポレオン・ヒルの「成功」の定義を思い出し、何より自分に価値のある目標を見い出しましょう。そして実現のプロセスに成功と感謝の念を抱きましょう。きっとそれは振り返ってみれば当たり前ではない出来事となるはずです。

 

ナポレオン・ヒルの「成功」の定義

 

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「姿勢」主義

世界的な投資家・ウォーレン・バフェットの名言は、いくつかあります。その中で私がもっとも好きな言葉が次です。

 

「小さなことで規律を破ると、大きなことでも規律を破るようになる」

 

日本でも似たような名言はいくつかあると思いますが、実のところ「行うは難し」です。口で言うのは誰でもできます。しかし実際に規律を守ることは本当に難しいこと。なぜでしょう? 誰もが目の前の誘惑にかられる弱き生き物だからです。

 

例えばバフェットは、自分のよくわからない会社には投資しないと言われます。ということは、よくわからないけれども、いま上がり基調な会社(株)は見過ごさなければならないということ。実際バフェットが投資しなかった会社で、株価が上昇した会社はごまんとあります。世界的な投資家でもすべてを見抜けるわけがないのは、野球の世界的なバッターでも3割がせいぜいというのと同じです。

 

またバフェットは小さな規律を守ったからこそ、大きな規律を守れているという言い方もできます。たまたまうまくいった成功者が凋落した原因は、小さな規律を守ってきた習慣がなかったからではないでしょうか。私はそんな気がします。

 

話を少し変えて、日比谷公園の造園に関わったことで有名な、本多静六(明治ー昭和の林学博士・投資家)という人物がいます。本多静六氏は生活のベクトルが上向きであることを幸せの定義とされており、つまりは幸せは固定されたものではなく日々に揺れ動くベクトルの方向にあると仰っています。

 

バフェットと静六氏の考えは、私の中では非常に酷似します。対象のサイズで規律を守る有無は決まらず、お金をいくら持っていても生活に上向き感がなければ幸福は感じられないということ。人生訓として至言ではないでしょうか。

 

規律を守ることは、ときに面倒で窮屈です。しかし長期的にみれば安定感をもたらし余計な画策をせずに済みます。余計な画策は失敗や信頼を損ねる危険性を生みます。

 

目の前の誘惑に負ける人はある種、強欲な人です。しかし皮肉なことに誘惑に負けない人ほど、最後はお金と幸福を手にします。バフェットはあらゆるIT企業の株高を見逃し、世界で一番の投資家になりました。

 

1円も1億円も同じ「お金」です。1分も1時間も同じ「時間」です。時給1000円のアルバイトも時給10万円の経営も同じ「仕事」です。1億円や1時間、時給10万円の仕事を望みどおりに扱いたいなら、1円や1分、時給1000円のアルバイトを丁重に扱う必要があります。

 

「姿勢」主義

 

対象の単位で姿勢をころころ変えては、心が乱れるだけ、安定感を欠けさせます。心はもっと有意義なことに使うべきで、損得を超えた規律を今日も守りましょう。そう、バフェットのように。

 

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