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苦節23年:59歳で司法試験合格

先日私は次の本を読みました。

神山昌子著「苦節23年、夢の弁護士になりました」(2011年2月発売)

 

もう10年以上前の本です。先日の記事「65歳で司法試験合格」で元公務員の吉村哲夫さんを紹介しましたが、今度は苦節23年の歴をもつ方です。

 

司法試験とは日本において最難関レベルの資格ゆえ、同じような苦節を味わっった方はごまんといることでしょう。その一人が著者の神山昌子さんです。

 

神山さんは30代に結婚したものの、数カ月でスピード離婚。シングルマザーとして母親と同居をしながら一人息子を育てられます。父親はすでに他界されていたため、母親と同居生活とはいえ、働かなくては生活がしていけません。

 

やはり仕事をしながら、ときに母親とのいさかいもあり、司法試験の合格まで23年の月日を流すことになりました。しかしなぜ23年も司法試験の合格にこだわられたのでしょうか?

 それは「弁護士として働きたい」、その一心です。なぜ弁護士なのか? それはさまざまな仕事をする中で、正規雇用にありつく難しさ、セクハラを受けたことなどが影響したとのこと。また過去に予備校に通わず大学に合格したという自信も後押しをしました。しかしその自信もすぐに打ち砕かれます。それからというもの、「母強し」ではないですが、「意地」の一徹だと思います。いっしょに勉強する仲間やコミュニティの影響も大きかったと言われますが、私が読み取るに、母親を通り越し、一人の人間としての「意地」が継続を可能にさせたのだと思います。

 

連続22回も落ちる中で、例えば途中から短答式試験の合格は常となり、論述式試験だけが課題となるなど、ステップアップは踏んでいます。それが希望となり、息子の支えもあり、あきらめることが逆に難しくなったとも言えると思います。

 

本記事で申し上げたいことは、高齢になっても勉強はできること、何度落ちても再挑戦は可能であること、50代や60代からが勝負とも取れること、そのために健康と体力が大事であることの4点です。

 

私はまだ40歳です。ひと昔前なら人生の折り返し地点でしたが、今は人によっては80歳がそれです。一つの職業や趣味にとらわれず、興味のあることなら何歳でもチャレンジしていいのです。今回はたまたま神山さんを紹介しましたが、世の中にはあらゆる軌跡がごまんとあるはずです。

 

頭であれこれ考えず、まずは"やってみる"の精神で、現実を知ってからの挑戦が努力を引き連れると思います。まずは現実を知ろう!それが挑戦の合言葉です。

 

苦節23年:59歳で司法試験合格

 

効率重視やラクをして稼ぐ風潮が日に日に強くなっている昨今に、失礼ながら神山さんのような不器用な生き方が、ある種の人たちを救う希望になると私は思います。少なくとも私は不器用な人間を自覚するゆえ、「苦節23年・59歳で合格」という事実だけをもっても、心が洗われた一人です。

 

効率やラクをして稼ぐ風潮がけっして悪いわけではありません。問題なのは幸せはどこにあるか? どんな生き方や考え方が幸せを感じられるか? その自問です。

 

苦節何十年だろうと、弁護士としての仕事に喜びが感じられなければ、そこからまたリスタートです。苦節歴はその後の人生を約束しません。幸い神山さんは喜びに満ちた人生を(出版当時は)送られたみたいですが、大事なことは自分のこだわりを世間体を気にしてあきらめないようにすることです。神山さんの生き方は、それを如実に現した貴重なモデルで、これからも輝きを放ってほしいと思います。

 

苦節23年:59歳で司法試験合格

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

常に「出発」を大事にする

人間国宝、織物作家の北村武資さんの言葉に次があります。

 

「常に出発を大事にする」

 

1年の出発は元旦、1日の出発は起床です。自分なりのさまざまな単位の「出発」を見定め、それを大事にするという考えです。

 

「終わりよければすべて良し」という考えもありますが、現実には出発の良さがあって、終わりの良さも発揮できると思います。つまり「終わりの良さ」は出発の良さから始まるということ。一例を申し上げます。

 

誰かと初対面でお会いするとき、こちらがいきなり遅刻をすれば、先方はそれだけで自分と今後の付き合いは拒まれるかもしれません。この場合、遅刻をせずに初対面の挨拶が良好であれば、終わり際の余韻も良くできるかもしれませんが、そうでないかもしれません。いずれにしても、出発に遅刻をし、相手の心象を悪くすることは避けられます。

 

最初の挨拶で好印象を得られれば、それがそのまま尾を引き、終わりの余韻までよくできるかもしれません。最初の挨拶は身なりや笑顔など、印象付けるすべてのことを含みます。

 

「スタートダッシュ」も同様です。スタートダッシュができるにこしたことはなく、スタートダッシュがその後の速度に支障をきたすことはほとんどありません。

 

このように一例から深掘って考えると、「出発」という二文字を意識するだけでも、人生そのものがいい方向に変えられそうです。「一年の計は元旦にあり」という言葉も、元旦を良く生きれば、その後の364日を本当に良く過ごせるかもしれません。1年の計を元旦(1日目)に守れば、2日目も守れる可能性やモチベーションは膨らみます。

 

「出発」

 

この二文字を随所に意識し、そのための準備に余念を無くす姿勢は、過程や終わりを良くする可能性を膨らませます。信頼を勝ち得る可能性も高まります。あの松下幸之助翁も意思決定の心構えにこんな言葉を残されています。

 

「出発点に誤りはないか」

 

未来のことは誰にもわからないのだから、私たちが意識すべきは、出発点における目的意識の明確化や動機に曇りはないかの自己点検にあるというのです。そこがクリアになっていれば、仮に結果につながらなくても後悔はなくせます。毎日に自分なりの「出発」を設定し、必ずそれを良好にできるよう、自己管理に励みたいものです。

 

「常に出発を大事にする」

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

誕生日=父母への感謝

特に本日が私の誕生日というわけではありませんが、誕生日というのは、父母への感謝をいつにも増して行う日だと思います。なぜなら当たり前ですが、どんな形であれ、父母のおかげで本日この世に生(せい)を受けられているからです。

 

たとえ現在が苦境でも、今後ずっと苦境というわけではありませんし、これまでも楽しいこと・嬉しいことはたくさんあったはずです。仕事終わりのビールや入浴、休日のバカンスだけでも生きがいと呼べる人もいらっしゃることでしょう。

 

そして現在が苦境でも、見方や捉え方でその苦境が希望に変わりますし、やりがいに変わることもあります。それを見出そうと見出すまいと、乗り越えた証は今後の人生(生活)の糧になることは間違いありません。

 

そこで本日は両親(父母)への感謝がひとつの「言葉」に凝縮されたものを紹介します。

 

「父母のおんとくは てんよりもたかく 海よりもふかし」

by 中江藤樹(江戸初期の儒学者

 

「父母の恩の有無厚薄を問わない。父母即恩である」

by 西晋一郎(明治時代の哲学者)

 

西さんの「父母即恩」という言葉ですが、中には両親と不仲の方もいらっしゃると思います。しかし不仲も含め、「父母即恩」です。私も両親と仲がいいというところまではいかず、なんとなくの親子関係にとどまっているというのが実情ですが、それでも恩義は常々感じています。なぜなら先に申したように、私の現在に生(せい)があるだけで御の字だからです。この生(せい)の誕生以上に、何を求めたらいいのでしょうか。大の大人は「自活」が基本です。「自活」には生(せい)があるだけで十分です。

 

大人になっても「誕生日会」というのはありますが、自分の誕生日こそ両親にプレゼントを送ってもいいというのが私の本音です。しかし小恥ずかしいことも否めず、私自身は送ったことはありませんが、両親の誕生日にメッセージを送る際は、感謝の念を込めながら送ります。

 

そして自分の誕生日に親への感謝をもったなら、もっと自然にもてるようにと、自分の人生に決意を抱くことも大事です。決意とはもっと楽しく手ごたえのあるものにしていくという決意です。楽しさや手応えは人それぞれの観点になりますが、少なくとも現状維持にそれはもちづらく、おそらく小さな挑戦(一歩)を踏み出すことから生まれます。その挑戦(一歩)は、自分のためのみならず、両親のためにもなるという利他の精神が、励みをいっそう大きなものにしてくれます。

 

「父母のおんとくは てんよりもたかく 海よりもふかし」

by 中江藤樹(江戸初期の儒学者

 

「父母の恩の有無厚薄を問わない。父母即恩である」

by 西晋一郎(明治時代の哲学者)

 

誕生日=父母への感謝

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「朝チョコ」に脂肪燃焼効果⁉

朝食にバナナやヨーグルトバナナを食べることは、ダイエットのみならず、健康にも良いとはよく知られています。しかし朝にチョコレートを食べると脂肪燃焼効果が促進されるとは聞いたことがありません。次の記事では閉経後の女性(19人)を被験者に、起床後にチョコレートを食べた場合と食べなかった場合で、前者の方が脂肪燃焼効果が高かったと報告しています。

gigazine.net

にわかに信じられませんが、原因はチョコレートに含まれる成分が食欲の減少をもたらし、空腹時の血糖も抑制、(食事以外の)お菓子等のカロリー摂取が16%減りました。

 

実は就寝前にチョコレートを食べた実験も併行され、こちらも腸内細菌叢に変化が見られ、空腹感が満たされることがわかりました。

 

実験を行ったムルシア大学 テレサエルナンデス・ゴンザレス氏らは、チョコレートをいつ食べるかが脂肪燃焼効果と関係していることを示唆され、閉経後の女性以外の、被験者の対象を今後に広げたい方針を示されました。

 

私が驚いたのは、起床後にチョコレートを食べなかった場合より、食べた場合の方が脂肪燃焼効果が高かったという単純な結果についてです。上記の繰り返しになりますが、起床後にチョコレートを食べることで、空腹時の血糖値を、食べなかった場合より下げないようでき、それが1日の食事量や間食の減少につながったと推測できます。また単純にチョコレートの成分に脂肪燃焼効果が存在していることも推測できます。

 

記事を読んだだけでは、明確な原因は明らかではありませんが、原因より結果です。今まで朝にチョコレートを食べたくても我慢していた人は、もう我慢する必要はないことが大方わかりました。

 

実験では「ココア18.1g、脂肪分58.4gといった成分の計100gのミルクチョコレート」が用いられましたが、現在では「カカオ70%以上のチョコレート」がさまざまな専門家から推奨されています。ミルクチョコレートでは甘すぎる方は、ぜひお好みの高カカオチョコを朝に、なんなら就寝前にも食べてみてはいかがでしょうか。実験では体重に変化がなかったとのこと。適切な量を守れば、体重に変化がないだけでなく、ストレス解消など精神的な満足にもつなげられるかもしれません。

 

「朝チョコ」に脂肪燃焼効果⁉

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

引用・参考記事

gigazine.net

「不安」と共存して生きる

数日前に私は「65歳で司法試験合格」という記事を書きました。合格したのは吉村哲夫さんという元公務員の方です。記事に貼付した参考記事には動機やプロセスが詳しく書かれていなかったのと、吉村さんが2015年に出された「65歳で司法試験合格 私の勉強法」という著書があることを知り、先日にさっそく読んでみました。

 

 

吉村さんは九州大学法学部を卒業後、福岡市役所に入庁しますが、このときから民間の様々な資格を取られたり、30代後半には英検1級に合格されたりと、もともと勉強グセがおありの方でした。

 

それもあってか、定年退職が視野に入った50代後半に、このままゆったり田舎暮らしをするか、さらにやりたいことに挑戦するか、真剣な自問を始めます。結果、”自分は勉強を続けてきて、60代も仕事を手に成長したい!”という望む方向を明らかにし、2010年に定年退職、2011年に京都大学法科大学院に入学、2014年に司法試験に(最高齢で)合格と、怒涛の挑戦を始めます。

 

本日申し上げたいことは、”人は何歳からでも挑戦できる” という月並みな内容ではなく、同書を読み、私が個人的に印象に残った「人は不安と共存して生きる生き物」ということについてです。

 

吉村さんは実は極度の上がり症で、人前に出れば頭の中が真っ白になり、心臓もバクバク、試験中にも手が震えるほどの筋金入りと言われます。その克服に精神医学の世界で有名な森田療法をベースとしたいくつかの書籍を読み、現実的なアタックを続けた結果、少しはマシになったものの、克服までは至りませんでした。克服が緊張自体をしないことを意味させるなら、吉村さん曰く、体質的に無理であると言われます。

 

吉村さんの人生的な壁は、極度の上がり症だけではありません。司法試験の勉強においても多数に存在します。勉強が気乗りしない、1回目は不合格、常に腰痛持ち、片目が緑内障で見えない、法科大学院での20代とのコミュニケーションなどです。

 

しかし同時に、喜びもまたその裏返しであると、著書を読めば伝わってきます。勉強には形から入ることやパラシュート勉強法、1回目の不合格では希望の活路、腰痛持ちもは奥様への感謝、などです。

 

ひとつひとつの詳しい解説は割愛しますが、ここでは吉村さんが「極度の上がり症を克服しようとした姿勢」から「人生に幸福をもたらす姿勢」を汲み取れる箇所を(同書から)抜粋します。

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人は皆、様々な困難に遭遇しながら、苦痛と共に人生を生きているのです。緊張型人間だけが苦痛を味わっているわけではありませんし、もっと、辛い目にあいながら、苦痛に耐えて生きている人は、数限りなく存在します。自分だけが、何の苦痛もなしに、人前で緊張するということから楽になりたいというのは、甘えに過ぎません。

 

苦しみながらも、逃げずに、恐怖突入して、ともかく、話の場に立つ、棒読みでもいい、声が震えてもいい、今できる最大限のプラスの行動をし、たとえ、その場がうまくいかなくてどんなに落ち込んでも、ひるまずに、諦めずに、飽くことなくその行動を積み重ねていくべきだというのが森田理論の考え方です。

 

私は、森田理論の本を貪るように読み、学習会での勉強を深め、約40年間、この人生観に従って、緊張とともに人生を歩んできました。

(中略)

私は、このような経験を自慢しているのではありませんし、全く緊張しなくなったと言っているわけではありません。大事な話をする場合は、当然のことながら、今でもとても緊張します。しかし、緊張しても、「自分は何を伝えたいのか、何を話すのか」という目的品位に、避けることなく、逃げることなく、その場に立ち、恐怖突入してきたということが言いたいのです。

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いかがでしょうか。

 

「恐怖突入」という言葉が印象的です。現在の力量の範囲内で生活をすれば、緊張も失敗も極力減らせることでしょう。しかし減らせた分だけ「後悔」を募らせるかもしれません。どちらのポジションを取るか、それがその人の人生観です。吉村さんは迷わず「恐怖突入」の道を選びました。

 

60代のおじさんが20歳前後の学生と、同じ教室で呼吸をするだけでも(ある種)辛いことです。吉村さんも最初は戸惑いしかなかったと言います。しかし徐々に打ち解け、語り合い、仲間となって助け合うまで心を開き続けました。こんな経験ができる60代はそうそうにいらっしゃいません。それがそのまま美しい思い出と変わりました。

 

 

現状にもそれなりに幸福は感じられますが、その幸福はいたって短期的で、それゆえ後には何も残りません。しかし「恐怖突入」の中には、結果、失敗することや恥をかくことは多数にある反面、一歩踏み出した功績は次の一歩につながります。やらずに終わったという後悔もなくせます。結局失敗や恥は成長や幸福に避けては通れない道であるということで、常にそれを意識しなければ私たちは本当に現状に埋もれ、何も残らない月日を重ねてしまいます。

 

・人は「不安」と共存して生きる生き物

・「不安」こそが成長と幸福の友

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

「大事なものはそこにはないから」

女優の高岡早紀さんの記事を読みました。とても短い端的な記事ですが、私は一つのワードに心を留めました。それが「大事なものはそこにはないから」です。

 

世間からの誹謗中傷、心無い言葉は、多かれ少なかれ芸能人(有名人)の付き物です。これを有名税と言ったりしますが、当時の発信元はマスコミくらいでした。しかし現在はSNS真っ盛りで、個人も平気で誹謗します。ツイッターやブログなどのテキストに加え、動画でされたりもします。それで精神を病む人は後を絶たず、命を絶つ人まで出てきています。

 

普通に考えて由々しき事態に感じますが、密かに有名人の凋落を楽しみにする人がいるのも事実です。そうでなければビジネスは成立しません。「人の不幸は蜜の味」をいいように扱うビジネスは今後も続くでしょう。

 

しかしモノは考えようです。世間からの誹謗に"無反応"を決め込む女優がいらっしゃいます。高岡早紀さんです。高岡さんはこう言われます。

 

「私もうすっごい前からもう何も聞こえない!」

 

これは2021年6月22日、深夜放送のバラエティー番組「グータンヌーボ2」(カンテレ)に出演した際の、MCの田中みな実さんへの返しです。

 

高岡さん曰く、ネットなど、世間の意見は一通り目を通すものの、そこに謂われないことがあっても、「そうですか、そうですか、」としか思わないそうです。なぜか?

 

大事なものはそこにはないから」

 

それが理由です。高岡さんにとってそれよりももっと「大事なもの」は自分でわかってるということです。

 

これは私たちにとっても非常に参考になります。資金繰りに困っている零細企業の社長が、目の前の若造(の行員)に頭を下げることをプライドから拒めば、社長にとっての「大事なもの」は自分のプライドということになります。会社の存続や社員の雇用よりも、自分のプライドです。

 

少し前に飲食店でマスクを拒否する男性が傷害事件を起こすというニュースがありました。その男性はその件が初めてではなく、これまでも何度とマスクを拒否し、それがニュースになったこともありました。その男性にとってマスクを外す行為は、周囲からの同調圧力に屈すると思われるのでしょうか、マスクを外さないことがその男性にとっての「大事なもの」です。

 

ライブドア事件の当人、堀江貴文氏は、当時に検察側と徹底抗戦の道を選びました。ほとんどの方は、同じ状況下におかれれば非を認める方に流れると思います。本当にやってなくても、自分の罪が軽くなるからです。しかし堀江氏は自分の罪の重さを顧みず、「自分を偽らない」「自分を曲げない」ことを最優先に置きました。

 

三菱財閥創始者 岩崎彌太郎氏の言葉です。

 

「小僧に頭を下げると思うから情けないのだ。金に頭を下げるのだ」

 

商人の彌太郎氏にとって、「大事なもの」は目の前の小僧ではなく、お金でした。「損して得とれ」を地で行った言葉とも言えます。

 

ソフトバンク社長 孫正義氏の言葉にも触れておきます。

「近くを見るから船酔いするんです。100キロ先を見てれば景色は絶対にぶれない」

 

孫社長にとって、「大事なもの」は100キロ先の景色です。

 

私たちの生活においても、いちいち嫌なことに時間を使われるのは、「大事なもの」から目を背けているか、そもそも「大事なもの」を設定していないかのどちらかです。まずもって「大事なもの」を明確に打ち出すこと、そしてそこから目を背けないことです。

 

自分にとって「大事なもの」がわかれば、それに従い目の前の現実に対処すればよく、その結果は無論、自己責任となります。堀江氏や孫氏は100キロ先を見据え、目の前の損を拾うことができた典型例です。堀江氏の今の活躍は、当時の自分を曲げなかったからこそだと思いますし、ボーダフォンの買収に2兆円を賭さなければ、現在のソフトバンクはありません。

 

「大事なもの」は1つでなくても、2つでも3つでも良しです。ポイントは中長期的な視点今とは別の角度から"いま"を見つめることで、それが "いま"を軽くし、"自分"を軽くしてくれると思います。

 

高岡早紀さんの世間の声に対するお言葉。

「大事なものはそこにはないから」

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

 本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

引用・参考記事

www.j-cast.com

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leonet0702.hatenablog.com

 

ジョギングよりラケット競技

本日は「健康と運動」についてです。

 

私は週に2日は川沿いをジョギングします。ウォーキングも日課ですが、ウォーキングでは得られないメリットがあります。例えば筋肉活動や体力・持久力の増進、脳への好影響です。脳への好影響は、足が着地したときの衝撃が脳に伝わると、脳内局所的圧に変化が生じ、脳内の細胞に物理的な刺激を与えるという研究結果が出ています。

 

しかしそんな難しいことを考えて続けているわけではありません。単純にカロリーを燃焼できるのと、気持ちがいい爽快感を求めてのことです。しかしこのたび、そんなジョギングが、長寿とは関係がないという研究結果が現れました。

 

明かにしたのは、フィンランドのUKK研究所やスコットランドエディンバラ大学などで行われたスポーツと健康の関連性を調査した研究チームです。彼らは各種スポーツと死亡率の関係を調べ、どのスポーツが最も健康的なのか調査しました。サンプル採集は大掛かりなもので、1994年から2008年に行われた英国とスコットランドの年次健康調査のデータを分析し、合計約8万人の活動を調べました。

 

内容は、以下の6つのカテゴリーに絞り、「過去4週間に15分以上続けたスポーツは?」「どの活動で、どれくらい汗をかいたのか?」といった質問を設け、各スポーツをしていた人の死亡率をリサーチしました。

 

・ジョギング・ランニング

・サイクリング

・水泳

・エアロビクス・体操・ダンス

フットボールラグビー

・バドミントン・テニス・スカッシュ

 

結果はどうだったでしょう?

 

1番上の「ジョギング・ランニング」は、その他の5種類のスポーツに比べ、健康有意な数字は示されませんでした。では何が健康有意だったのか? それが6番目の「バドミントン・テニス・スカッシュ」のラケット競技です。

 

死亡率はまったく運動しない人に比べ47%も低く、次点は「水泳」で28%の低下、「水泳」と比べても、かなり差を生んでいることがわかります。また心臓・血管など循環器における疾患に限れば、ラケット競技は死亡率を59%低下させるというデータも示されました。これに対し、「サイクリング」「ジョギング・ランニング」は、循環器疾患の予防効果に関しては効果が薄かったとのことです。

 

研究を行ったフィンランドのUKK研究所やスコットランドエディンバラ大学の研究チームはこう結論づけます。

 

「ジョギングやランニングは、長寿に関しては有益ではない」

 

そしてラケット競技こそが、長寿に、そして循環器疾患に特に健康的有意さをもたらすことがわかりました。なぜラケット競技なのかという分析は、現段階では明らかになっていませんが、卓球は生涯スポーツとして、確かに幅広い層に親しまれています。その証拠に温泉旅館や公的体育館、民間のレジャー施設など、卓球台が設置されているところはよく見かけます。

 

私も実はラケット競技が大好きで、ちょっと広い公園に行けば、バドミントンをしたくなります。またネットカフェに行けば、卓球をよくやります。高校時代はテニス部に所属していました。

 

ボールをスピーディーに目で追い、都度手を動かし、足も動かす、その一連の流れが、単純なジョギングやランニングにはない、健康的な何かが(脳で)発動しているのだと思います。また一人ではできないスポーツゆえ、人間関係の満足や充足、一体感や連帯感が心の健康に作用していると考えます。

 

ジョギングやランニングがけっして体に悪いわけではなく、ラケット競技長寿に有効であることを統計的なデータが明らかにしたという話です。ぜひ機会があれば、ラケット競技を積極的に行ってみてはいかがでしょうか?

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

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引用・参考記事

hc.nikkan-gendai.com