心の戦士!~心が前向きになる言葉~

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MMT(現代貨幣理論)2

前回のつづきです。

 

前回はMMTの根幹を成す考えを指し示しました。「政府こそがお金の供給者である」という一文です。この一文はもう少しかみ砕くと、「政府が国債を発行(借金を)し、お金を市場に供給し、国民がそのお金を使用して初めてお金は市場に出現する」という考えです。

 

GDPの50%以上を担う個人消費が年間300兆円弱。この個人消費額ではまったく「お金が回っていない状態」ゆえ、現在はデフレ下にあります。このデフレを脱却するためにはまずは、もっと市場にお金を供給しなければなりません。そして使ってもらわなければなりません。

 

では市場にお金を供給できるのは誰か? それが政府です。政府が国債を発行して困っている人や、ニーズのある場所にお金を供給するのです。そして供給された人たちは、喜んでそのお金を使います。この"使用"こそが市場にお金を出現させたことにほかならず、供給されてもそれが銀行預金に流れたのでは、お金は「無」の扱いです。

 

市場でのお金の"使用量(流通量)"こそが、デフレとインフレを分かちます。ここだけに焦点を当てることが経済回復には必要です。

 

このような理論はリフレでも言われていましたが、実際の安倍政権では、2本目の矢「機動的な財政出動」がとても弱かったのです。この機動的という言葉が弱腰を意味しており、積極的な財政出動ではありませんでした。なぜか? リフレではアベノミクスの1本目の矢にあたる「大胆な金融緩和」に重きを持ち、そこをメインに副次的に2本目の矢「機動的な財政出動」を位置付けたからです。

 

"黒田バズーカ"などと言われ、異次元の金融緩和に踏み切ったことや、マイナス金利を導入したことが話題となりました。いずれも一本目の矢「大胆な金融緩和」です。この「大胆な金融緩和」で民間銀行にお金が供給され、それが人や企業に貸し出され、市場でお金が回ると思ったのがリフレでした。しかしそうはなりませんでした。2本目の「機動的な財政出動」をサブ的な位置に置いたのがリフレの特徴で失敗でした。

 

しかしMMTでは"1本目の矢「金融政策」は当たり前、それプラス 財政出動を積極的にすることで初めてお金は流通するのだ!" と息巻きます。

 

要はリフレの失敗を見て、後出しじゃんけんをしているような立ち位置です。しかしそうでもないようです。MMTケインズ経済学がルーツとなっていて、ポストケインズの重鎮であるハイマン・ミンスキーなどが発展させた理論から構築されたと言われるからです。

いずれにしても、リフレとMMTの違いは、リフレが「金融緩和」に重きを置くのに対し、MMTは「財政出動」に重きをおくことです。

 

そしてアベノミクスの失敗で「金融緩和」だけではデフレは解消しないことが確認されました。しからば「財政出動」を試みるべき!というのが多数の意見でしょう。

 

しかしなぜこうもMMTは異端扱いされるのか? 

 

それはアメリカでも日本でも、これまで唱えてきた学説が否定されたからです。その学説を唱えていたのが、アメリカではノーベル経済学賞を取られた重鎮たち、日本でもリフレ派の学者(評論家)たちでしょう。素直に負けを認められないというが本音なのだと思います。

 

しかし現在の日本では、リフレも中途半端に、緊縮財政を行っている始末です。緊縮財政とはプライマリーバランスの黒字化を目指す財政政策で、具体的には消費増税財政支出国債発行高)の消極です。すなわちMMTの真逆。税収を始めとした歳入に対し、できるだけ歳出を抑えること、これが緊縮財政で、年々その赤字額は減少しています。言い替えればプライマリーバランスは黒字化はされていないものの、赤字額は減少できているのです。この赤字額の解消をことさら成果と誇っているのが安倍政権でした。

 

MMTはこのプライマリーバランスの黒字化路線を真っ向から否定します。"歳出をセーブしたら、市場にお金が供給されず(お金が回らず)、元も子もないでしょ"というわけです。

 

最後にさまざまあるMMTに対しての反論の一つです。

「積極的な財政出動でインフレの兆しが見えたとして、はたしてその積極性にブレーキはかけられるのか?」

 

これはかなり的を射た質問です。しかしこれはあらかじめインフレ率2%を上限とする前提を発表しておけば済む話です。この質問は現在 目の前に餓死しそうな人がいて、その人に食料を与えることは、肥満を招くのではないか?と心配することと同じです。逆に現在の日本が餓死(デフレ)に近い状態にあることを認識していないことの方が問題で、かつ食料を与えずに健康(適正体重)にもっていける方法が逆にあるのですか?と問うべき事項です。

 

ではインフレの兆候が見られたときに、MMTではどのように手綱を引き締めるのか? それが増税です。例えば消費増税をすることで、消費は抑えられ、インフレ率は2%に調整できます。これがリフレでは金融政策に重きを置くため、金利の引き締めで調整することと思います。日銀が民間銀行からお金を吸い上げれば、民間銀行はお金が少なくなり、金利を上げなければならなくなります。金利が上がれば国民は消費より預金に走るという構図です。

 

最後に私の印象からみたリフレとMMTのもう一つの違いを申し上げます。それは小さな政府大きな政府です。リフレは小さな政府、MMT大きな政府をイメージします。リフレは機動的な財政出動と言っていることから、市場への介入は最低限にし、それ以降は市場原理(競争原理)に任せるというポジションです。それに対しMMT完全雇用を目指し、市場原理(競争原理)を嫌います。違う言い方をすれば、リフレはどこかで「トリクルダウン」を信じ、MMTはまったくそれを信じないという感じです。(トリクルダウンとは富める者が富めば、貧しい者も自然に豊かになるという仮説です、理由は富む者は雇用を創出すると考えられているからです)

 

ここまでお読みいただき、リフレとMMTは似て非なるものという感じを受けられたと思います。突き詰めれば金融緩和に重きを置くのか、財政出動に重きを置くのか、市場原理(競争原理)を善とするのか、しないのか、トリクルダウンを信じるのか、信じないのか、またその程度の違いです。

 

私は実は矛盾するようですが「小さな政府」の方がいいと感じるため、MMTに100%は傾倒しません。かといって積極的な財政出動には同意できるため、リフレ派でもありません。大事なことは何派でもいいので、いいところ取りをして、経済回復に勤めていただきたいと願うだけです。

 

本記事は2回にわたってお届けしました。もし興味のあるところでしたら、さらに深堀りしていただくのもよろしいかと思います。また内容はあくまで私の理解と解釈に基づくため、正当なそれとは違っているかもしれません。もしそんな箇所がありましたら、あしからずご容赦いただきたくお願いします。

 

MMT(現代貨幣理論)」

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

MMT(現代貨幣理論)1

2021年1月15日現在は、一都三県のみならず、大阪、兵庫、京都、愛知、岐阜、福岡、栃木の計7府県を追加に緊急事態宣言が出されているコロナ禍の真っただ中にあります。

 

そのような中、どうしたら抜本的な経済回復、そして経済成長へと舵を切れるでしょうか?国民の多くはみな、多かれ少なかれ関心はあると思います。いったい出口はあるのか? 出口は見えるのか? いつまでつづくのか?などです。

 

そこで昨年の2020年ごろからでしょうか、ネットの記事等でこんな言葉を見聞きするようになりました。

 

MMT(現代貨幣理論)」

 

MMTとは「Modern Monetary Theory」の略す。本日はそのMMTを私なりに簡潔に解説します。

 

まず現在の状況から確認します。現在は消費税が10%にまで引き上げられ、財政出動も弱い状態、まさにプライマリーバランスの黒字化を目指している「緊縮財政」の状態にあります。プライマリーバランスの黒字化とは簡単に言えば歳入(約60%が税収)の範囲内で歳出を図ることを言います。私たちの家計で言う「収入と支出」です。収入より支出が上回れば赤字になります。"この赤字をできるだけ0に近づけ、そして黒字を目指しましょう"というのが緊縮財政です。この財政政策を「タカ派」と呼ぶ人もいます。

 

しかしこれに異を唱える経済派があります。それが「リフレ派」です。この言葉はあなたも何度とお聞きになったことがあると思います。そうです、「アベノミクス3本の矢」にあたる政策のこと。1本目が「大胆な金融緩和」、2本目が「機動的な財政出動」、3本目が「民間投資を喚起する成長戦略」です。このリフレ派をタカ派に対し「ハト派」と呼ぶ人もいます。

 

しかしこの「アベノミクス」、なぜ失敗に終わったのでしょうか? 当初はあれだけ期待されていただけに、非常に残念です。その原因はここでは置いておき、それを踏まえてか、ちょうどいいタイミングで出てきたのが「MMT(現代貨幣理論)」です。

 

MMTの提唱者はニューヨーク州立大学教授であるステファニー・ケルトン教授らで、2019年7月に来日もされました。来日された際の講演の模様が各所のニュースに取り上げられ、日本でもそれなりに見聞きにするようになったと理解します。

 

さて、このMMT、本場アメリカでも、そして日本でも、まったくの異端扱いです。なかには"トンデモ理論"とか"宗教"などと揶揄する専門家もいます。私自身は強い支持はしませんが、8割方賛成の立場です。

 

MMTの理論は"理論"と名がつくだけに体系付けられています。ですので理論の全容を理解することは正直困難で、本日は主軸となる考え方を私なりに指し示し、それを経済回復につなげる論でお届けします。

 

まずMMTの主軸となる考え方です。

「政府こそが貨幣の供給者である」

 

この考え方がMMTの根幹を成しています。しかしこの一言ではピンとこないと思います。もう少し私なりに掘り下げます。

 

まずお金の概念の捉え方です。私たちが銀行から、お金を引き出したときに初めてお金は出現するとイメージしてみてください。もっと掘り下げればお金を引き出したときではなく、お金を"使用"した瞬間です。

 

私たちがお金を"使用"しなければ、お金は出現したことにならず「無」と考えます。タンス預金も預貯金も「無」です。私がA銀行で10万円を引き出し、ある家電量販店で10万円の最新パソコンを購入したとします。この購入した瞬間に「お金」が日本国内に出現したとみるのがMMTのベースです。ですから預金額や赤字国債の額は関係ありません。実際にお金を使ったかどうかの有無が、お金の出現の有無と考えます。個人消費でいえば、年間に290兆円だとすれば、290兆円がお金の出現額です。

 

しかし現況、デフレです。一時はデフレの脱却が見えたものの、8%から10%の消費増税でいっきにデフレに押し戻されました。よって結局は20年間ずっとデフレつづきです。デフレとは私の言葉でいえば「世の中にお金が回っていない状態」です。逆にインフレは「世の中にお金が回っている状態」です。

 

ではデフレの脱却にはどうすればいいか?

 

GDPの50%以上を占める個人消費で考えれば、私たち国民がもっとお金を使うようになることです。当たり前ですが、どうすればそれが可能となるのか? 赤字国債をどんどん発行し、市場にお金をどんどん供給し、たくさんの国民にお金を使用してもらうことです。

 

そんなことをすればインフレになるではないか⁉ 

 

だれもが条件反射的にそう思います。しかしMMTではそうは考えません。国債の引き受け先は民間銀行を通して、日本銀行(日銀)が買い取るからです(政府から日銀へは法律で禁じられています)。日銀の株式の51%を保有する大株主が政府ですから、日銀は政府の子会社です。日銀と政府をセットで「統合政府」と呼んだりします。つまり政府自身がいくらでもお金を供給できるのです。これが先に申した「政府こそが貨幣の供給者である」という意味です。

 

コロナ禍で困っている人や機関にお金を供給するため、赤字国債を100兆円発行したとします。銀行経由で日銀が買い取り100兆円を刷って政府に渡します。日銀は100兆円分の国債を持っていることになりますが、はて日銀はその100兆円を政府に返済を求めなくてはいけないのでしょうか? 日銀は政府の子会社です。また日銀は利益を追求する場所ではなく、ただ政府の意のままに金融政策をする場所です。

 

そうです、政府が発行した国債が、政府に戻っただけの形のため返済は不要です。シュレッダーにでもかけるイメージです。日銀がいくらでもお金を刷っていいと言われるのはそういう理由です。あなたが友達のA君に100万円を借り、A君に100万円の借用書を渡し、巡り巡ってその借用書があなたの手元に戻ってきたイメージです。

 

政府が国債を発行すれば、どんどん市場にお金が供給されます。しかし供給されただけでは意味がありません。使って初めて「お金が回った」状態です。お金が回って初めてデフレの脱却が見えます。

 

お金をいくら刷ろうと刷った額に意味はありません。唯一意味を持つのは、市場でお金が使われるかどうか、それだけです。その量が増え(回り)始めたときに、デフレの脱却が見えるということです。そして目指すはインフレ率2%と言われます。この水準まではどんどん政府は適所にお金を供給する必要があります。

 

さて、ここまでお読みいただいて、あなたはあることに気づきませんでしたか? 私はこのMMTの理論を読んだときに次のことを思いました。

 

"リフレと何が違うのか?"

 

実は私はリフレ派でした。アベノミクス(3本の矢)には期待していた者です。その2本目の矢に「機動的な財政出動」があり、それと何が違うのか? 正直ピンときませんでした。ついては、次回はMMTとリフレとの違いを私なりの観点でお届けします。

 

本日は最後までお読みいただきありがとうございました。

"アホ"とは戦わない

2014年7月に出版されて以降、ビジネス書や自己啓発書のジャンルで人気を博し、70万部を突破した本があります。それが次です。

 

田村耕太郎著「頭に来てもアホとは戦うな!」(2014年7月発売)

 

かなり刺激的なタイトルです。その刺激さに惹かれて購入したという人も多かったと思います。そして実際の内容もそのタイトルに則して展開しています。あなたもお読みになったかもしれません。

 

私は実は同書を知っていたものの、内容が予想できたため、購入はせずに見過ごしていました。しかし最近、漫画化された次の本を読み、予想通りの内容だったことを確認し、一言あなたにもお伝えしたいことがあり、本記事をつづります。

 

田村耕太郎著「まんがでわかる 頭に来てもアホとは戦うな!」(2019年3月発売)

 

最近は人気を博した本を漫画化する傾向があります。漫画化されると、主要な部分だけをインプットできるため、時間の節約になりますが、細かい内容は紙面上削除されるため、漫画版で興味があれば、通常版で読む流れがお勧めです。

 

さて、私が漫画版の同書を読み、著者の田村さんが一番伝えたかったであろう内容を一言で包括した箇所がありますので、それを以下に抜粋します。

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「アホとは戦わない」ことには"大目標"があります。それは「たった一度しかない奇跡のような"自分の人生"を生きる」ことです。これ以上の目的はないと言っていいでしょう。

 

そのためには「アホと戦う」時間とエネルギーは、とても無駄なのです。そして日本社会において「アホと戦えば戦うほど」自分の人生の目標達成は難しくなります。アホは、いなして利用する存在なのです。「自分の人生を生きる」ために。

(同書より抜粋)

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一言の箇所は次です。

「たった一度しかない奇跡のような"自分の人生"を生きる」

 

すなわち(アホと)戦った時点、いや戦おうと思った時点で負けなのです。1秒でも早く謝り、その場を離れることも、ある人にとっては勝利となる、ということです。

 

しかし実際は困難なケースもあります。すなわち瞬時に言い返すことも"戦わない"ことになるからです。言い返された相手は、二度と言い返した相手に同じことはしないように努めるかもしれません。そう考えると、謝ったりその場を逃げたりすることだけが"戦わない"とも言いきれません。

 

"戦う"の定義、"戦わない"の定義から入り直さなくてはなりませんが、この定義は「俯瞰的冷静さ」の有無と言い替えてもいいのではないでしょうか。

 

目の前の相手によっては、言い返したり注意したほうが、結果的に戦わなくて済むようになるかもしれません。そしてその方が相手の今後にとってもよくなるかもしれません。

 

そのように考えれば、結局「冷静さ」が本質のように思います。冷静であれば、田村さんの言われる「大目標」も見失わずに済み、「大目標」から現在を見られる「俯瞰的冷静さ」から、言い返した方がいいかどうかの有無も判断できます。

 

そして極めつけは、その相手(アホ)すらも、味方につけ、自分の大目標に利用できないかを考えることです。これは相当な域(レベル)でしょう。かなりの達人でないと、この域までの懐具合はもてないと思いますが、それでも「俯瞰的冷静さ」があれば、謝ったり、お礼を言ったりすることで、逆に信頼は勝ち取れるようにも思います。

 

私はまずは折衷案として、自分の「大目標」の遂行における「敵」を作らないことが現実的に思います。その場で言い返したり、ムッとした表情をすることで、自分の「大目標」の敵になってしまうなら、最低限「敵」を作らない策として「謝罪」や「逃げ」も戦略的にした方がいいと思います。

 

「敵」とは大方「自分の"大目標"に向けての時間を奪われること」に当たります。大目標に向けての時間を奪われないことだけが"勝ち"とみなす主観の明確さが、「アホとは戦わない」人生戦略をうまく生かせられるコツになると思います。

 

最後に人の性格やプライドの程度によっては、謝ったり逃げることに"負け"の意識を持ってしまう人もいるかもしれません。そんな人向けに、とっておきに名言を紹介します。

 

「終身路を譲るも、百歩を枉げず」

by 新唐書

 

読み方は「しゅうしんみちをゆずるも、ひゃっぽをまげず」です。意味は「生涯、他人に道を譲り続けたとしても、譲った距離の合計は百歩にも満たない」です。

 

この言葉は、掃除道を貫いている、株式会社イエローハットの創業者で、「日本を美しくする会」の相談役 鍵山秀三郎さんが好んで紹介されていて、私も鍵山さんの書籍から知りました。

 

この言葉は、鍵山さん自身が経営道と掃除道を体現される中で、紛れもなく真実と紹介されていて、重みが伝わります。どういうことかというと、鍵山さんはイエローハットに社名を変える前のローヤルという会社からの創業者ですが、経営者でありながら、自身のきれいごとを信じ、それを貫く姿勢を当初から随所で見せていました。

 

それを見かねた周りの人は鍵山さんに次のように助言します。「思いやり、譲り合いはけっこうだが、そんなことをしていると、ズルい人に先を越されてしまい損をしてしますよ」と。

 

しかし鍵山さんは先の言葉を知っていたため、きれいごとの「思いやり」「譲り合い」を貫き、経営道を歩まれました。そして、こんな言葉を残すに至ったのです。

「利益は後からついてくる」

 

解説はこうです。

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掃除の範囲は、社内とその周辺だけではありません。営業に行ったときは、お客様のバックヤードや駐車場まで掃除してきました。いわば当社の掃除は、すべての仕事に最優先する業務の一端であり、訪問先では立派な営業になっています。

鍵山秀三郎著・亀井民治編「困ったことばかりでも、何かひとつはよいことがある。」より抜粋)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

どれだけ人に譲ろうと、私たちの「大目標」は遠ざかりません。遠ざかると思ってしまうのは錯覚です。逆に近づくことにもなりかねません。「利益は"アホとは戦わない"ことの後からついてくる」のです。

 

"アホ"の定義は割愛しましたが、本記事で一番申し上げたいことは「たった一度しかない奇跡のような"自分の人生"を生きよう!」です。

 

"今"が奇跡なのだから、その奇跡を"自分の人生"に使わずして、何に使う? その自問が"自分の人生"に目覚めさせてくれます。逆説ですがその切り替えができることにより、目の前の相手にもおおらかになれるというものではないでしょうか。

 

「たった一度しかない奇跡のような"自分の人生"を生きる」

 

「終身路を譲るも、百歩を枉げず」

by 新唐書

 

「利益は後からついてくる」

 

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

「コーヒー」と脳卒中リスク

私は特にコーヒーが大好きというわけではないのですが、職場にインスタントのコーヒーが常備されていることから、普通に飲料として1日3杯ほど飲んでいます。なかには全然好きでないため、常備されていようと飲まない方もいますし、逆にとても好きで1日5杯以上を飲まれる方もいらっしゃいます。あなたはいかがでしょうか?

 

本日は「コーヒーと脳卒中リスク」についてです。

 

と言いましても、特に下の参照記事ではそのメカニズムや詳細は載っていません。ただ1日3杯以上の常飲が2型糖尿病脳卒中リスクを下げる」とだけ書いてあります。

 

要はコーヒーに含まれるクロロゲン酸をはじめとしたさまざまなポリフェノールが抗酸化作用等をもたらし、それが脳卒中のリスクを下げることにつながるのだと推測します。

 

医学博士でお茶の水大学の近藤和雄名誉教授は、ポリフェノールの摂取源は主に飲料からでそれが7,8割、食べ物からは2,3割と言われます。また飲料の摂取源の内訳として、日本人はコーヒーからが47%にも及ぶと言われます。このようなコーヒーの飲料習慣が、コーヒーポリフェノールの摂取を可能とし、さまざまな健康効果につなげていると思われます。

 

ただしあくまで平均値といいますか、飲まない人は飲まないわけなので、あなたがコーヒーを飲まれる方でしたら、本記事を参考に、これからも前向きに常飲いただければと思います。

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

引用・参考記事

shokuhin.net

 

過去記事

leonet0702.hatenablog.com

leonet0702.hatenablog.com

leonet0702.hatenablog.com

leonet0702.hatenablog.com

leonet0702.hatenablog.com

leonet0702.hatenablog.com

「楽苦(ラク)」しかない

「苦」を「苦」と思わずに、「楽苦(ラク)」と思おう!

 

そうアドバイスをされるのは「日本人が知っておきたい心を鍛える習慣(2013年6月発売」の著者 上田比呂志さんです。

 

上田さんは三越、ディズニー、ティファニーで人材マネジメントの経験を積まれた方で、その後独立してからはコーチとして企業研修や人材育成の講演活動をされています。

 

冒頭の言葉はどのような考えから来ているかというと「禍福は交互にくる」ということからです。上田さんの人生経験によれば、「本当の楽しみや感謝を知るためには、大きなハードルを越えなければわからないこともあり、かつての苦労が糧になっていることに気づかされることもしばしばある」とのこと。

 

そのような実感は、後から振り返ってわかることで、渦中にいるときはそのような俯瞰は難しいものです。上田さんも実際は難しいことを認めつつ、それでもなんとか「楽苦」と思えるように、これまでの人生経験を思い出してほしいと言われます。

 

私はその件(くだり)を読み、こんな風に思いました。

『「楽苦(ラク)」しかない』

 

私たちは通常「楽(ラク)」を求めますが、実際に「楽(ラク)」が続いても、刺激が足りず飽きたりします。セミリタイアする人や定年退職後の年金生活者がそんな感じかもしれません。

 

もともと順風と思えるときも、逆風と思えるときも、結局は「やるべきことをやるしかない」わけで、その状態自体に外的環境は関係ありません。今回のようにコロナショックや緊急事態宣言が出されて、失業や減給を余儀なくされた人たちも同様です。

 

確かに失業や減給はお辛いでしょう。焦るでしょう。しかしその最中におき「やるべきことをやるしかない」わけで、それをするか否かだけがその人に問われます。逆に私のような保険畑の人間は、失業も減給もありませんでした。しかしだからと言って"楽しい""感謝"といった気持ちがこみ上げるかというと、まったくそんなではありません。結局目の前には「やるべきことをやるしかない」状態があるだけです。

 

つまりどんな外部環境でも「やるべきことをやるしかない」状態に相違なく、それを楽しむかどうかの「心の置きどころ」がその人の「幸・不幸」「禍福」を決めるというのが私の考えです。それを先ほど私は「楽苦(ラク)」と表現しました。

 

外部環境問わず、『「楽苦(ラク)」は(その人の)心がつくるもの』ということです。

 

私の体験から、実は順風のときほど、そのような考えを持っていると、逆風のときは「楽苦(ラク)」が容易となります。逆に順風のときに浮かれて「楽(ラク)」に甘えれば、逆風のときの「楽苦(ラク)」は難しくなります(ハードルが高くなります)。

 

順風・逆風問わず、どんなときでも、自分の目標や目的、ビジョンを胸に「やるべきことをやる」、その姿勢が結局は長い人生、トータルハピネスの最大化につながると思います。

 

簡単に言えば「やるべきことをやる」こと自体に楽しさを見出し、どんな逆風のときでも「やるべきことをやっている自分、やった自分」を褒めてあげる、そのような姿勢が大切ということです。

 

「やるべきことをやる」こと自体に楽しさを見出すには「遊び心」が必要です。逆風のときこそ、「遊び心」の有無が問われます。それをいきなり発動させることは難しいということから、順風のときにそれを訓練しておくことが大切ということです。

 

『「楽苦(ラク)」しかない』

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

本日は最後までお読みいただきありがとうございました。

脳科学「Awe(オウ)体験」

脳科学「Awe(オウ)体験」というものがあります。Awe体験とは「大自然や大宇宙の悠久さや広大さを前に、自分の存在の小ささを感じる体験」を言います。このAwe体験をすると、どのような影響が及ぼされるのでしょうか?

 

カナダ・トロント大学のステラー博士らの研究では、「Awe体験は自分を最小化し、それが謙虚になることにつながる」という結果が出ています。

 

アメリカのジョン・テンプルトン財団の研究では、Awe体験をしている人は「"見破る力、騙されない思考力"を持つようになる」と言われます。理由はAwe体験をしていないと、情熱のある人の話やおもしろい話に弱く、議論でも説得されやすくなるからとのこと。

中国・広州大学のリー博士らの研究は、Awe体験で未来の時間の感覚を持てるようになり、社会性のある行動が取れるようになるという結果を出しています。「未来の時間の感覚を持てる」というのは、未来を単なる時間経過した先にあるものと捉えるのではなく、自分が生きている「いま」と同じような感覚で捉えられるということ。未来も「いま」と同じように価値があると実感できるようになるということです。

 

Awe体験は身体にも好影響を与えるとの報告があります。

 

前述のカナダ・トロント大学のステラー博士らの研究では、Awe体験を頻繁にしている人は、身体が慢性的な炎症を起こしているときに出る「インターロイキン6」の濃度が低く保たれるという結果を出しています。インターロイキン6の濃度が高い(慢性的な炎症は人)は寿命が縮まる傾向があるのに対し、インターロイキン6が下がっている状態は身体には良く、寿命を延ばす傾向にあるとのことです。

 

これらを包括してかどうかわかりませんが、アメリカ・アリゾナ州立大学のシオタ博士はAwe体験の特徴を次のようにまとめています。

 

①マインドフルネスを行ったように、何ごともありのままに受け取ることができるようになる
②心と身体をリラックスさせる
③好奇心を引き出す
④人と心のつながりを作る
⑤利他の心を引き出す
⑥身体を健康にする
⑦創造性を引き出す
⑧希望に満ちた状態になる
⑨幸福感が高まる
⑩嫉妬心など、ネガティブな感情が少なくなる

 

脳と心、そして身体にまで好影響を及ぼすAwe体験、やらない手はありません。しかし実際にAwe体験ができるような、大自然を目にすることは私たちの日常で容易でしょうか? 国内外問わず、頻繁に旅行をしているなど、特定の人を除けば、通常は難しいと思います。

 

そこでオランダ・アムステルダム大学のフォンエルク博士らは、大自然の広大さ・美しさが感じられる動画を見ることでも、軽微なAwe体験ができるとしています。ただ、このような軽微なAwe体験では、「時間の感覚を変えてしまうことはない」と、オランダ・アムステルダム大学の研究が明らかにしています。

 

大自然を目の前にしたときなど、強いAwe体験の特徴の1つとして、時間の感覚の変容があります。世界がスローモーションのようにゆっくり動いているように見えたり、あるいは逆に、何かに集中しすぎて、ほんの一瞬だと思ったら、意外にも長い時間が過ぎていたりというようなことです。これは、Awe体験がフロー状態(ゾーン)を引き起こすからだと考えられていますが、軽微のAwe体験でそれは難しいとのこと。しかし軽微とはいえ、やらないよりずっといいことは間違いありません。

 

ただし勘違いをしてはいけないは、美しい夜景や街並みなど、たとえ心が感動するようなことがあっても、それはAwe体験ではないということです。Awe体験とは自分よりはるかに壮大で人智を超える存在を感覚的に覚えることだからです。

 

下の引用元の記事には載っていませんが、私はよく風景写真に心が洗われます。癒されるというのでしょうか、特に「海や空、道」が好きです。具体的にはパイ インターナショナル(PIE International) が出版している写真集で、7冊ほど自宅に保管しています。ちょっと癒されたいな・・と思うときにそれらを観るのですが、私の勝手な感覚では、軽微のAwe体験をしているように感じます。どこまでも続く海や空の広大さ、壮大さ、そして果てしなく続く道々のスケールに自分の小ささを身にしみて感じるからです。

 

実際に脳波を測定してみないとわからないことですが、動画でなくても、少しでも自分を忘れられる感覚を覚えるなら、静止画でも軽微なAwe体験は可能なのではないでしょうか。

 

脳科学「Awe(オウ)体験」

 

あなたの興味のあるところでしたら、ぜひ下の引用記事で理解を深めていただければと思います。

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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引用・参考記事

toyokeizai.net

 

 

「不可能」の対語

あなたは大村智さんという方をご存じでしょうか? 2015年に文化勲章ノーベル生理学・医学賞を受賞された現代の偉人とも呼べる方です。大村さんの研究実績を簡単に触れます。

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微生物の生産する有用な天然有機化合物の発見を目的に、独創的な研究を推進、500種余の化合物を発見されました。そのうち26種が医薬、動物薬、農薬、および生化学研究用試薬として広く使われ、感染症の治療・撲滅、生命現象の解明などに貢献。特に抗寄生虫薬イベルメクチンは熱帯病のオンコセルカ症およびリンパ系フィラリア症の他、糞線虫症、疥癬の予防・治療薬として年間3億人余に使われています。

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そんな大村さんの著書に「人をつくる言葉(2016年5月発売)」があります。この本は1ページごとに大村さんが自分の形成に役立ったとされる「言葉」を紹介し、簡単な解説も添えられます。どれも心に突き刺さる、人生の指針となる箴言です。

 

その中に次の言葉があります。

「不可能の対語は可能ではなく挑戦です」

 

不可能のは対語は誰もが「可能」と思いますよね⁉ しかしノーベル賞受賞者は違います。こういった点が"さすが!"と、レベルの違いを感じさせられます。

 

しかしこの言葉は大村さんが作ったわけではありません。この本に集められた数々の「言葉」は、大村さんの研究人生の中であらゆる書物から書き留めたもので、よって大村さん自身も数々の書籍から行動規範となるべく言葉を探されていたということです。大村さんはその姿勢を同書で「複中有書」という安岡正篤さんの言葉で表現されています。

さて「挑戦」についてです。

 

大村さんはこう解説されています。

「物事をやり始めたら、たとえ失敗を繰り返しても諦めずに挑み続けることです。それが自分のやりたいことならなおさらです。成功した人というのは、人の二倍も三倍も失敗しているものです」

 

大村さん自身も、数々の失敗を繰り返されたそうで、そのたびにこの言葉を励みに頑張られたことが推測できます。

 

ところであなたは上温湯隆(かみおんゆ・たかし)さんという方をご存じでしょうか?高校を中退し、17歳で日本を飛び出しアジアや中近東、ヨーロッパなど世界中を放浪した旅人です。その途中で立ち寄ったアフリカで、彼はサハラ砂漠に魅了されます。そのサハラ砂漠の踏破中になんと渇死を遂げてしまいます。そのとき僅か22歳。なんと短く強烈な生涯だったでしょう。

 

そんな上温湯さんの言葉に次があります。

「冒険とは、可能性への信仰である」

 

私は大村さんの言葉を聞いたとき、上温湯さんのこの言葉をふと思い出しました。まさにこの両者の言葉は私にとって同じ意味合いに受け取れます。あなたはいかがでしょうか?

未来は不確定でわかりません。その方法が適切なのか、本当に成果に結びつくのか、頑張れば頑張るほど不安に駆られます。そんなときは結果に焦るのではなく、また結果の有無ではなく、挑戦の可否、信仰の有無に目を転じられてみてはいかがでしょうか。そうすれば、心に平安が取り戻せる気がします。

 

心に平安が取り戻せれば、エジソン(発明家)のように、いろいろな方法を試すことそのものに楽しさや喜びがシフトされるかもしれません。やはり道の途上は途上で、いかに楽しく取り組めるかが勝負だと思います。

 

数々の偉人はさまざまな失敗を繰り返した末に「偉業」を成し遂げています。私たちが学ぶべき点は、なぜ失敗を繰り返せたのか?ということに尽きます。お二人の言葉はそのことの重要な参考になるのではないでしょうか。

 

「不可能の対語は可能ではなく挑戦です」

 

「冒険とは、可能性への信仰である」

 

挑戦も冒険も、人生における「ロマン」「ロマン」は結果を超越します。

「ロマンなくして人生なし」

 

あなたはいかがお感じになりますか?

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。